今年も我が家の東向きのベランダでは藤が咲き、いまや咲き終えたマメ科独特の蝶(ちょう)のような紫の花はみなしおれて、花穂の芯になんとかしがみついているという状態だ。少し寂しい。
買ってきてから何年も、この藤は頑強に咲くのを拒んでいたのである。当時、俺(おれ)は同じ浅草の十数メートル先のマンションに住んでおり、ベランダは西向きという過酷な条件下にいた。夏にはベランダが地獄の釜を思わせるほど暑かった。
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| 題字と季語イラスト・上田みゆき |
それでも藤は死ぬことなく、春になる度に、乾ききった枯れ木のごとき幹から緑色の物質をにじみ出させると、それをみるみる葉へと変化させたり、ツルとして伸ばしたりした。だから俺もあきらめずに、必死の介護をしてきたのだ。
ベランダ園芸の先輩から「藤は水が好きでしょうがない。池の端に咲いてるくらいだから」と言われ、以後“水責めの刑”に処すことにして、常に受け皿に水をなみなみと溜(た)めもした。図鑑を見て窒素過多をなるべく避け、冬にはおそるおそる剪定(せんてい)などもしてみた。
それでも、藤は咲かなかった。エネルギッシュに葉を茂らせ、何にしがみつきたいのか知らないが、あらぬ方向へとツルを伸ばすばかりだったのである。
それが4年前の引っ越しで突然咲くようになった。正確に言うと4年前の6月に引っ越し、狭いながらも北側、東側、西側と三つあるベランダのうちの最上等スペース、つまり東向きの土地を藤に与えたところ、翌年に1本だけ房が垂れたのだった。
この時の喜びははかり知れないものであった。俺はたった1本の房を毎日のようにながめ、花が咲きますようにと祈りながら、ますます厳しい水責めをした。
だが、人間は怠惰なもので、いったん花が開くと、以後俺は常日頃の水責めを怠り始めたのである。冬の剪定もいい加減になった。
それでも、次の年には房が五つに増えた。おかげで俺は、もっと怠けた。藤は水責めどころか日照り責めの刑に処されもし、窒素肥料も平気で与えられたし、剪定さえされなくなった。
今年の房は九つあった。要するにベランダが東を向いているか否かが、藤の機嫌を左右しているだけだと俺にはもうわかっている。
人間がやれることなど、実にわずかなものなのだ。