ご近所のベランダー夫妻から三つの鉢をおすそ分けしてもらった。アヤメ、露草、ムラサキシキブ。どれも目に涼しい植物である。
普段、俺(おれ)は熟考してからでないと鉢を増やさない。だが、今回はすぐに手が出た。特にアヤメと露草は絶対に欲しかった。
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| 題字と季語イラスト・上田みゆき |
夫妻の話によれば、それら2種の植物は小鳥によって運ばれてきたらしいのだった。買った覚えもないのに他の鉢から芽を出し、すくすく育ったというのだ。
確かに、夫妻のベランダは4階建てマンションの最上階にあって屋根がない。したがって、小鳥が羽を休めるには最適である。
気の小さい小鳥たちは、どんな方向へも飛び立てる場所にしか下りて来ない。空が広いベランダに、やつらは飛来するのだ。
むろん休息をとるだけではない。時には手塩にかけて育てたピラカンサの実をついばんだりもするだろうし、何がうまいのか新芽をさかんにつついたりする。
だが、小鳥は無自覚なお返しもするのである。どこか遠くの池の端っこあたりから植物の種を運び、水っぽい糞(ふん)に包んでプレゼントしてくれるのだ。
その贈り物がアヤメ、露草だったというところに俺はしびれる。なんと優美な取り合わせだろう。やつらが平安期の小鳥だったと言われても、俺は納得する。
小鳥だって大都会に住めば心がすさむ。少なくとも食い物は洋風化せざるを得ず、“さくらんぼよりアメリカンチェリーの方がうまいな”とか、“あたしはコンビニだけで暮らしていけます”とか、そういうことを言いたがる小鳥諸君の増加に俺は疑いを持っていなかったのである。
ところが、生態系は案外変わっていなかった。小鳥はいまだに在来種のアヤメや露草の種をのみ込み、それをあちこちの土の上に落として回っているのだ。
それは在来種のしぶとさをあらわす好例でもある。植物は小鳥を誘惑し、種を食わせ、胃で溶かされずに移動する。このサイクルもまた変わらないらしい。
こうしてご近所のベランダへと運ばれたアヤメと露草が、今度は人間の手によって移動した。俺の家にやって来た。生命の巨大なサイクルに混ぜてもらった俺は今、とてもうれしい。