タチアオイの花期が終わった。特に我がベランダではまるで咲かないまま。
俺(おれ)はタチアオイがめっぽう好きなのである。つっかえ棒もなく道端に長身を伸ばし、薄紙のような花を開かせるその姿は、実に野趣に富んでいて派手である。
あれはどうやって自分を支えているものだろう。茎はたいして太くない。にもかかわらず、天に向かってまっすぐに突っ立つ。
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| 題字と季語イラスト・上田みゆき |
俺は旅行先などでタチアオイを見る度に心ときめかせ、もしも花が終わって種がついていれば、必ずそいつを収穫してきた。
それがこの春、鉢で売られていた。即座に俺は購入を決めて家に持って帰り、木箱から“産地・奈良の道端”と書かれた袋を取り出して、同じ鉢に種を植え込んでもみたのであった。
ちなみに、他には新潟産と京都産の種があった。奈良産を選んだのは収穫日がドシャ降りだったからである。新薬師寺のそばでずぶ濡(ぬ)れになりながら、俺はタチアオイの種を必死で取った。その努力を実らせたくなるのは人情だ。
数日すると芽が出て、買ったタチアオイのミニチュアみたいな葉をつけた。小指の爪(つめ)くらいの葉っぱである。俺はタチアオイの親子を育てている気になり、大いに満足した。
ところが、である。親子はそれから先、まったく変化を見せなくなった。元気は元気なのだけれど、“天に向かってまっすぐに突っ立つ”気配がまるでない。
親の方が多少生育の遅れを見せるなら納得もする。ある程度育ち、いったん栄養をためてから爆発的に伸びるケースはままあるからだ。しかし、かてて加えて生まれたての子供までもが変化しないだなんて……。
垂直方向を目指して突進してこそのタチアオイではないのか! そうやってじっと同じ姿勢でいるなら、それは眠りアオイだとか、水平アオイなどと名前を変えるべき植物である。
何を夢見て俺はドシャ降りの雨の中、そんなアオイの種をいそいそ収穫したというのだろう。鉢を見つけて胸おどらせ、迷うことなく購入したというのだ?
呪いだと思う。時が止まる呪いを、誰かがタチアオイの鉢にだけかけたのだ。
そういうわけで、我がベランダの一角ではいまだに呪いが解けていない。
そして、花期は終了。