夏が終わったことを、俺(おれ)はタイムの葉によって知らされたのである。
節くれだち、曲がりくねったタイムの細い木は、鉢のふちを乗り越えて下方に垂れており、無数の短い葉をびっしり茂らせていた。
だが、夏の間は新芽が出なかったのである。確か冬の間もそうだったと思う。
それがこの2週間ほど前から、新緑の芽をこんもりと盛り上がらせ始めた。そして、みるみるうちにタイムは、買いたての真新しい鉢のようになったのだ。
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| 題字と季語イラスト・上田みゆき |
つまり、きつい陽気の時分には葉を濃い緑の老兵部隊のみにして耐え忍び、ここが攻めどきと見るや、一気に新芽を飛び出させるのがタイムであるらしい。
したがって俺は、秋雨前線がどうとかいう前に夏の終わりを感知していたことになる。鮮やかな緑の芽が噴き出たその日こそが、ベランダの秋だったのだ。
木が垂れているくせに、タイムの新芽は例外なく上向きに生える。どの芽も上へ上へ伸びていこうとするから、全体として火が噴き上がるように見える。薄緑色の火の塊が、ぼうぼうと燃えているかのようだ。
春の到来を知らされた時もそうだったが、俺はこの緑の炎を見て縄文時代に思いをはせざるを得ない。
火焔(かえん)式土器のあの炎の形が、まさに上へ上へと噴き上がるタイムの葉の様子によく似ているからである。
春、あるいは秋。つまりきつい陽気を耐えたあとで植物たちは生き返り、実りへとまっしぐらに進む。冬や夏という危機を耐えた草木は、太陽の恵みを得ようと軽やかに伸び上がる。
何の収穫もしない俺でさえ、今、タイムを見ていると安堵(あんど)感からウキウキしてくるのである。縄文人はなおさらのこと、ウキウキしただろう。緑の炎は、危機脱出後の植物が示す生命のシンボルだからだ。
火焔式土器はそのウキウキをあらわしているのだなあ、とベランダ派の俺は実感する。なんならウキウキ式土器と言い換えても差し支えないのではないか。
少なくとも、現在の俺に粘土を与えたら、迷うことなくタイムの形でウキウキをあらわすのである。これを俺流ウキウキ式土器と名付けることに異論はあるまい。ぜひ焼いて欲しい。
タイムは緑色に燃えている。ともかく、秋は来た。
残暑は厳しくても。