ごろり、という感触があった。落ち葉がずいぶんたまったので、俺(おれ)はホウキとチリトリを出してきて、ベランダを隅から隅まで掃除していたのである。
そこに、ごろりと来た。チリトリの先に重いものが乗った。一瞬、俺は小鳥の死骸(しがい)かと思った。しかし、小鳥の死骸にしては重過ぎる。両腕に鳥肌が立った。何かわけのわからないものを、俺は拾ってしまったのだった。
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| 題字と季語イラスト・上田みゆき |
蛮勇をふるって、というか正体不明の物体を持ち続けているのに耐えられず、俺は素早くチリトリの中へ目をやった。すると、驚くべきことにそれはカリンの実なのであった。
以前書いたように、カリンの実は長いこと緑色のままで細い木にぶら下がっていた。それが行方不明になったのは去年の秋である。
周囲を見ても落ちた形跡はなく、カラスにでも持っていかれたのだと俺は思い込むことにした。
正直、そう思い込むことで俺は厄介事から逃れた気になっていたのである。なにしろ、カリンの実はいっこうに変化の兆しを見せなかったからだ。
自分の落ち度を日々責められているようでどうも居心地が悪く、俺は唐突に実が消えた事実をひそかに歓迎したものであった。カラスに感謝の念さえ抱いた。
だが、それが数カ月を経て、ついに発見されてしまったのだった。カリンの実はカラスに食われることもなく、鉢の裏にじっと隠れていただけなのであった。
嫌みなことに、実はなおも青々としていた。腐るでもなく、熟すでもなく、相変わらず生き生きとした緑色でずっしりと重いのである。まったく変化がない。
雨に濡(ぬ)れたこともあったろう。落ちたはずみで傷がつき、そこから変色してもおかしくはないはずだ。だが、そのカリンの実はひたすらに元気なのだった。ひたすら青いまま、“やあ、またお会いしましたね”的なさわやかな笑顔で俺の前に再出現したのである。
捨てるわけにもいかなかった。一度は消滅を喜んだものの、逆にその罪の意識こそがカリンの実のゴミ箱入りを妨げていた。
実は今、ベランダの特等席に置かれている。なんとか自然に腐らないものかと俺は天にも祈る気持ちだ。