今週もボケの話である。といっても、前回ご紹介した“実験中のボケ”のことではない。そっちのボケならますます好調で、ついに蕾(つぼみ)までつけ始めた。
だが、俺(おれ)が今回取り上げたいのは、今年の1回目に“枯れ死んだ”と報告したボケのことなのである。
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| 題字と季語イラスト・上田みゆき |
ベランダの整理のために多くの鉢を捨てた際にも、なぜか俺は意地汚くそのボケを取っておいた。生きてはいないと確信していながらも、盆栽めいた太さの幹がなんとも見栄えよく、春までは廃棄を待っておこうと考えたからであった。
いくら1月咲きの鉢が増えたところで、冬のベランダは基本的に寂しい。したがって俺は、そのボケの死にっぷりさえも景色のひとつに加えようともくろんでいたわけだ。
大きな矛盾だが、俺は死んだはずのボケにもやっぱり水をやり続けた。特に幹にはよく水をかけ、いかにも活(い)き活き育っているかのように自分をだました。
ところが、その愚行が功を奏したのである。つい数日前、完全に枯れ死んだと思われていた幹に緑色の苔(こけ)めいたものが張り付いているのに気づいたのだ。それは苔ではなく芽であった。
ご近所の迷惑もかえりみず、俺はウワーッと大声を上げた。捨てなくてよかったという安堵(あんど)と、よくこれまで水をやってきたものだという冷や汗と、何よりも突き上げるような無邪気な喜びが混然一体となった。
俺にとってそれは、奇跡としか言いようのない蘇生だった。生命反応の絶えた樹木が静かに息を吹き返した様子は、俺に神秘を感じさせた。ボケはどうやって生命を凍らせ、何をきっかけに再び解凍されたのか。
芽はまだ小さい。老眼が入り始めた俺の目では焦点が合わず、しかたなく虫メガネを出してきてアップで観察している。うれしくて見ずにはいられないのだ。
じきに芽は葉となり、蕾となるだろうことは、すでに実験中のボケがあるから手にとるようにわかる。
さて、そこで俺を悩ませているのが、すでに捨ててしまった鉢のことなのである。あの中にもまだ生きている植物があったのではないかと思うと、背筋がぞっとする。こういう例があると、またしばらく鉢が捨てられなくなるから困る。