サフィニアの小鉢を買ってきたのが4月のことだったと思う。最初は特になんの期待もしていなかった。ただ、付属の札に「サントリー」と書いてあったのが面白かっただけなのだ。
調べてみると、確かにあのお酒の会社が1989年にサフィニアを世に送り出したのであった。平成元年生まれの新種である。
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| 題字と季語イラスト・上田みゆき |
5月末にはすでに蛍光色めいた赤紫の花が満開になっていた。そして、それが9月になった現在でも、まだ衰えることなく咲いている。この花期の長さは特筆に値するだろう。
薄緑の葉はもはや鉢からこぼれ出し、コンクリートの上に垂れて伸びている。それでも花は次々と開き、少ししぼんではまた開き、ついに落ちると次なる花にバトンタッチをする。
だが、あんまりにも長い間咲き続けているので、俺(おれ)はすっかりサフィニアに鈍感になっており、「ああ、ベランダに何かパッとした花が咲かないものか」などと詠嘆したりする。
十分に咲いているのである。サフィニアが日々奮闘してくれているのだ。その上、生まれ持った生命力の強さゆえに枯れる心配が少しもない。優秀な花だ。
だが、その優秀な花の鋭意努力を、俺はどうしても忘れてしまうのである。これは人間に対する評価と実によく似ている。
常に結果を出し続けるタイプの頑張り屋は、出来て当たり前だと思われてしまう。評価はむしろ日頃たいした仕事をしない人の方に向けられがちで、事実そうした人物が頑張った方が目立つのである。
我がベランダでは今、後者がマツリカである。咲くと思っていなかった時期に突然花をつけたマツリカに俺は愛を注ぎ、水も余計に注いでいる始末だ。
そして、5日に1回くらいの割合で「あ、サフィニアも咲いていたのか」と気づくのである。ひどい話ではないか。赤紫の花が単なる葉っぱに過ぎないような気にさえなっているのだから申し訳ない。時には造花じゃないのかと無意識に疑うこともある。
いつでも花のはかなさに不満を抱いているくせに、強い花をめでることが出来ないのは、まことに我がままだ。ないものねだりだ。
それにしてもサフィニアはいつ花期を終えるのか。人間は本当に飽きやすい。