東側ベランダには今、西洋シャクナゲがある。つい2週間前に買ってきたばかりの鉢だ。
去年の今頃も俺(おれ)はシャクナゲを買ったのである。経緯はこの欄でも紹介した通りで、俺は園芸売り場において1人のばあさんと出会ったのだった。
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| 題字と季語イラスト・上田みゆき |
ばあさんはシャクナゲの良しあしを見抜き、入手すべき鉢を俺に指南した。当時、俺はそのばあさんを師とまで仰いだものだ。
彼女への尊敬の念を保ったまま、俺はシャクナゲを大事に育てた。ところが、我が師が指摘したシャクナゲ選びの最重要ポイント、つまり葉の中央の蕾(つぼみ)はまるで変化を見せなかった。
冬が終わり、やがて春も過ぎて初夏に近づくと、さすがに蕾が動き始めた。わずかにせり上がった蕾は、硬いウロコに覆われたようなその身をついにゆるめたのである。
我が師を信じて半年間を耐えた俺は、ほっと安堵(あんど)のため息をつき、シャクナゲの雄姿を楽しもうと開花の時を待った。
しかし、ようやく開いた蕾は花にならなかった。どういう理屈かまるでわからないのだが、蕾の一片一片がサーベル状の黄ばんだ葉に変化してしまったのだ。
俺はあっけにとられた。我が師であるばあさんは、確実にそれが花になると言ったのである。いつか鳩(はと)を出すと思って厚遇していた奇術師が木で出来た鳥を出したようなもので、面白くないのにも程があった。
しかも、黄ばんだ葉はすぐに枯れた。あとに残ったのは購入当時とまるで変わらぬシャクナゲであった。まことに実りのないマジックである。半年以上をかけて何を育ててきたのか、というむなしい疑問が俺を襲った。師よ、なぜに我をだましたまいし。
自然、それまでの熱心さはうせた。我が師への尊敬の度合いが暴落するのに比例して、シャクナゲはひどく投げやりに世話をされ、じきにそれ自体枯れた。
そして、今冬。俺はまたも園芸売り場でシャクナゲと出会ったのであった。近くにあのばあさんもいなかった。今度こそと思った。
俺は自力で蕾が七つもある鉢を選び、熱心に世話を始めている。これで来年も同じことが起きるなら、我が師の名誉回復である。悪いのは俺の腕であって、彼女の選択眼ではない。