2日間ほど暖かい日が訪れて、厚いダウンジャケットを着ているのが馬鹿らしくなった。その後はまた寒さが戻ったものの、もう我々は知っている。冬は頂点を越したのだ。
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| 題字と季語イラスト・上田みゆき |
我々の体には、あの2日間の暖かさの記憶が沈殿している。おかげで無意識のうちに筋肉の奥が警戒を解き、そこはかとなく晴れやかな気分が漂い始める。
ベランダでは数々の木に芽がついている。木蓮(もくれん)なら輝く白い毛に包まれた芽、あんずなら固く小さく締まって飛び出した芽、藤ならこびりついたような芽、ボケなら先が赤らんだ芽。
冬の間にゆっくりと形成された芽は、どれも様子を変えずにそこにある。しかし、彼らもまた気づいているはずなのだ。わずかな温度の差を敏感に受け取り、冬の終わりをかぎつけているに違いないのである。
したがって、水やりをする俺(おれ)は芽という芽に目配せをしたいような気持ちになる。諸君はひたすらに口をつぐんでいるけれど、俺だって感付いているんだ。例のアレが来るんだろ?アレが来て君たちは一斉に緑色の物質をこの世に流れ出させるんだろ? つまり、春が来るんだ!
当然、芽は黙ったままである。1ミリも成長することなく、もう一段階上の陽気を待つばかりだ。だが、その静かな内部にエネルギーの激流が動き始めていることを、俺は知っている。
枯れたような色の木に、枝に、根に、激流は走っている。もう冬眠は終わりなのだ。寒さに耐える時期は過ぎ去り、植物たちは素知らぬ顔でもぞもぞと起き出しているのである。
長年ベランダで植物を育てていれば、この変化がわかる。見た目はまるで変わらないのに、あたかも音が聞こえるくらいにはっきりと、彼ら植物の目覚めに気づく。
共振のような現象かもしれない。自分の体にこそ激流が流れ始め、春に向かって何かが目覚めたのだ。だからこそ、植物もまたそうであることを体感するのである。動物と植物がともに振動し始める瞬間。きっとそれが冬の終わりなのだ。春の始まりなのである。
俺は今、植物と一緒に季節の先端を満喫している。彼らとともにいなければ、この喜びはなかった。