桃が咲き、ついで梅が咲きと何回か前に書いた。すると、「順序が違ってはいないか」という複数のお便りをいただいたのである。ありがたいことだ。
確かに自然界ではご指摘の通りである。だが、ベランダ界では事情が少し違っている。鉢はあらかじめ季節を狂わされたあげく、出荷されるからだ。
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| 題字と季語イラスト・上田みゆき |
連載5回目でも書いたことだが、鉢という時点ですでに、ベランダーは自然に反している。ベランダで植物を愛するという行為が、こうして自然に対抗することでもある事情は複雑だ。
新種開発しかり、化学肥料しかり、早咲きや遅咲きにされた鉢しかり。ベランダ園芸にはいつでも、反自然的な要素がついて回る。
ところが、そんな複雑な思いにとらわれる俺(おれ)の目の前で、我がベランダの反自然は面白いことになった。
桃のあとから咲いた梅がみるみる満開となり、大急ぎで散ってしまったのである。桃はいまだにのんびり咲いているわけで、つまり自然の順序が再び彼らを支配し直したのだ。
いかに開花時期を技術でずらしておいても、いったん風に当て、日光のもとにさらしておけば、植物は自然界のリズムを取り戻す。その掟(おきて)のごとき絶対性はまことに驚異的だ。
今まさに開花中のあんずの木に関しても、俺は自然のリズムの正確さを感じてやまない。
昨年の同時期、俺はボケによる他家授粉を偶然成功させたのであった。ボケの雄しべに触れた筆であんずの花をいじったところ、実がついたのだ。専門家によるとこれは認めがたい事実だそうだが、実際それ以外に結実の理由がないのだから仕方ない。
そして今年、再びあんずの蕾(つぼみ)がふくらんできたなと思ったら、離れた場所にあるボケにも蕾がついていたのである。さらに、あんずが咲いたと喜んだその日、ボケもまた咲いた。この同期性に、俺は恐ろしささえ感じたものだ。
厳格な自然のリズムは、人為など吹き飛ばす力を持っている。ベランダーが反自然的だなんて言い方は、むしろおごっているのかもしれない。自然にさからうことは結局不可能なのだ。どうあがいても、その巨大な力にはかなわない。