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向島(1)見番通り

 川ひとつ越えれば、そこは異郷である。向島の人は意外なほど浅草のことを知らないし、浅草の人は向島のことを「川向こうのことは」などという。
 しかし、土地の者ではない散歩者は平気でこのギラつく残暑の陽(ひ)の中を浅草と向島を行き来する。

 そして、こんなときに限って普段気にもとめてないことを計測してみたくなる。
 「さて、浅草の見番から向島の見番まで、歩いて何分ぐらいかかるのだろう」というものである。

あかね色の空の中、向島見番の通りを芸者さんがお座敷に向かって歩いていた
(写真・横田正大)
 浅草・柳通りの柳の緑いよいよ濃く、午後も5時前ともなれば、打ち水をする店もそこここに。

 浅草・松屋から見番まで、ゆっくりとした足どりでおよそ15分、そして、言問橋を渡って、今度は向島の見番、向島墨堤組合へと向かう。
 幸か不幸か、芸者衆を座敷に呼んでの遊びなど無縁だが、見番のある町の界隈(かいわい)は、ただで歩いては申し訳ないくらい、なんともいえない空気が流れている。

 言問橋を渡ってすぐ左に折れる道が見番通り
 ほどなく、すみだ郷土文化資料館があり、その先に歌舞伎や文楽でおなじみの三囲(みめぐり)神社の前に出る。
 道なりに料亭の水野などが並び、(ああ、東京にもまだこんな世界があるのだなあ)と思う間もなく、「龍神」と彫られた石碑にしめなわがかけられた、向島の見番前となる。

 浅草の見番を出発したのが午後4時45分、この向島の見番にたどりついたのが、5時15分。ちょうど30分。それも、豆凧(まめだこ)の唐変木庵や京小物のまねき屋の虫籠(むしかご)や銀製の金魚の帯留めなどをのぞきつつで。
 なんだ、こんなに近かったのか、とあらためて思う。

 そうこうしているうちに料亭に灯がともる。おや芸者さんが2人づれ、さらに後から3人。向かいの通りにも年増のお姐(ねえ)さんが。

 時計を見れば6時5分前。向島の夜が始まる。

→ 向島(2)見番通りから桜橋 へ

坂崎 重盛 (エッセイスト・題字も)



2002年8月21日付 朝日新聞(東京本社)「マリオン」から
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