文化と人情の香り今も
上野桜木2丁目の言問通りから谷中霊園に続く桜並木の下にある仏菓子店「パティシエ イナムラショウゾウ」。オーナーの稲村省三さんは毎朝、言問通り沿いの寺に線香を手向ける。稲村さんはホテル西洋銀座などを経て独立した。だが、00年の開店当初は連日閑古鳥。先輩は青山のような流行のある街でないことを心配した。でも、上野がよかった。「美術館に歴史的建造物、ちょっと行けば歓楽街。文化と人情が交錯する街のお菓子屋さんになりたかった」
本当においしいものをつくり続ければ客はついてくるとの思いで仕事に没頭した。やがて全国区の人気を得る。「忙しい毎日の中で、言問通りにパワーをもらっている」。線香は、純粋な気持ちで仕事を始めるためのものという。
稲村さんをひきつける言問通り近辺は、かつて、三代将軍家光の時代に完成した寛永寺の寺領。維新後は同寺所有のこの土地に作家や芸人、文化人らが移り住んだ。後の昭和初期には川端康成もこの地に暮らし、言問通りなどから浅草に通い「浅草紅団」を残した。
寺領の地代を集める「差配」が住んだ古い建物で営業する、通り沿いのおでん屋「おせん」。江戸太神楽の故・12代目鏡味小仙の妻である店主の生駒久江さんは「昔は2階に内弟子が住み込み、獅子舞や傘の曲芸を練習していてそれはにぎやかだった」と語る。常連客の一人が安原まゆみさん。辛口評論で知られた編集者の故・安原顕(けん)さんの妻だ。顕さんは酒を飲まなかったが、生駒さんは「評論家として名をなした後も、町内会の寄り合いに気さくに顔を出し、写真撮影でピースをして場を盛り上げてくれた」と、名物編集者のひょうきんな側面を懐かしむ。
そんな、「仕事や年齢、立場の違う人が飾らないで近所づきあいできるのが言問通りのいいところ」と、まゆみさん。地元の人によれば、今もぶらりと散歩する舞台演出家や彫刻家、落語家らの姿を見かけるという。
言問通りに漂う文化と人情の香りは昔と変わらない。
(田舞)