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2005.10.20(木)更新 ストリートストーリー
 
中禅寺湖岸通り  (栃木・日光市)

 いろは坂を上ると、今が紅葉見ごろの奥日光。男体山のすそに中禅寺湖が横たわる。四季折々の自然が息づくリゾート地だが、その原点が、欧州各国の大使が愛した別荘地だったことはあまり知られていない。

 
イラスト・岡澤香寿美
紅葉と歴史の面影訪ねて

 明治維新とともにやって来た外交官たちは、蒸し暑い夏から逃れるように、避暑地を求めた。栃木県の奥日光もそんな地のひとつだったが、彼らを引きつける別の理由もあった。

 「日光避暑地物語」の著者で、日光市職員の福田和美さん(56)は「中禅寺湖は、明治期からマスなどの淡水魚を積極的に放流した。故郷を思わせる大自然のもとで、英国仕込みのフライフィッシングもたしなめるとあって、魅力だったはず」と話す。

 昭和初期には、英国、ベルギーなどの大使館別荘が湖畔に立ち並んだ。実業家ハンス・ハンターが、釣りを楽しむ国際サロン「東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部」を創設して、避暑地文化は最盛期に。会員は、各国大使に日本の政財界の大物、皇族も名を連ね、「夏場は外務省が奥日光に移る」と言われたほどだった。だが、まもなく日中戦争となり、わずか十数年で幕を閉じた。

 秋の一日、南岸に残るイタリア大使館別荘を訪ねた。県が購入後改修し、5年前から一般公開されている。暖炉のある食堂や、杉の皮で装飾された内外装に、華やかな当時をしのぶことができる。湖に向いたデッキは、静かな波の音とともに、色づいた湖畔の景観が満喫できる紅葉スポットだ。

 湖西の千手ケ浜。倶楽部のレストハウスだった建物は往時の姿のまま残る。

 当時の管理人で「日光の仙人」と呼ばれた伊藤乙次郎さんの息子、誠さん(55)が今も暮らす。「中禅寺湖の紅葉は『俯瞰(ふかん)の美』。黄色や茶色の日なた側(北岸)と、赤、黄、緑の対比が美しい『おろ(日陰)』側(南岸)を、ぐっと引いて距離感を持って見るのがいい」と解説する。

 最近はシカが増え、草木を食べつくして、植生が変わりつつあるのが気がかりだ。子ども向けの自然教室を開く誠さんは、言った。

 「『奥日光病』と言ってね、一度その魅力に触れると、必ずまた来たくなる。そんな人たちのためにも、この自然を守らなければ」

(中津海麻子)

  奥日光への交通

 東武日光駅、JR日光駅から、東武バス(日光営業所TEL0288・54・1138)で。
 有効期限が2日で、区間内なら何度も乗り降りできるフリーパス(中禅寺温泉2000円、戦場ケ原2650円、湯元温泉3000円)が便利。千手ケ浜へは、環境保護のため普通車の通行は規制され、ハイブリッドバスが運行している。東武バス「湯元温泉」行き乗車、赤沼バス停で乗り換え。300円。問い合わせは日光自然博物館(0288・55・0880)。

  湖上から紅葉を眺める

 中禅寺湖の紅葉をパノラマで楽しむなら、遊覧船(11月末まで)がオススメ。中禅寺湖機船営業所(TEL0288・55・0360)。

  日光けっこう!な、お土産

 「日光を見ずして結構と言うなかれ」という故事から命名した「けっこうまんじゅう」(10個1150円)が人気。みやま堂(TEL0288・55・0162)。


飽きることのない奥日光
 立松和平さん(作家)
 奥日光の中心にそびえる男体山は、1200年以上前に勝道上人が艱難辛苦(かんなんしんく)の果てにはじめて登頂し、霊地としました。中禅寺湖畔は英国湖水地方に似ているところから、ヨーロッパ人が避暑地としてひらきました。日光はどこを歩いても、美しい風景の底に深い歴史を感じ、何度訪れても飽きることはありません。
 ■47年栃木県生まれ。宇都宮市役所勤務後、著作業に専念。近著に『軍曹かく戦わず』。


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