紅葉と歴史の面影訪ねて
明治維新とともにやって来た外交官たちは、蒸し暑い夏から逃れるように、避暑地を求めた。栃木県の奥日光もそんな地のひとつだったが、彼らを引きつける別の理由もあった。
「日光避暑地物語」の著者で、日光市職員の福田和美さん(56)は「中禅寺湖は、明治期からマスなどの淡水魚を積極的に放流した。故郷を思わせる大自然のもとで、英国仕込みのフライフィッシングもたしなめるとあって、魅力だったはず」と話す。
昭和初期には、英国、ベルギーなどの大使館別荘が湖畔に立ち並んだ。実業家ハンス・ハンターが、釣りを楽しむ国際サロン「東京アングリング・エンド・カンツリー倶楽部」を創設して、避暑地文化は最盛期に。会員は、各国大使に日本の政財界の大物、皇族も名を連ね、「夏場は外務省が奥日光に移る」と言われたほどだった。だが、まもなく日中戦争となり、わずか十数年で幕を閉じた。
秋の一日、南岸に残るイタリア大使館別荘を訪ねた。県が購入後改修し、5年前から一般公開されている。暖炉のある食堂や、杉の皮で装飾された内外装に、華やかな当時をしのぶことができる。湖に向いたデッキは、静かな波の音とともに、色づいた湖畔の景観が満喫できる紅葉スポットだ。
湖西の千手ケ浜。倶楽部のレストハウスだった建物は往時の姿のまま残る。
当時の管理人で「日光の仙人」と呼ばれた伊藤乙次郎さんの息子、誠さん(55)が今も暮らす。「中禅寺湖の紅葉は『俯瞰(ふかん)の美』。黄色や茶色の日なた側(北岸)と、赤、黄、緑の対比が美しい『おろ(日陰)』側(南岸)を、ぐっと引いて距離感を持って見るのがいい」と解説する。
最近はシカが増え、草木を食べつくして、植生が変わりつつあるのが気がかりだ。子ども向けの自然教室を開く誠さんは、言った。
「『奥日光病』と言ってね、一度その魅力に触れると、必ずまた来たくなる。そんな人たちのためにも、この自然を守らなければ」
(中津海麻子)