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2005.12.22(木)更新 ストリートストーリー
 
人形町通り  (東京・中央区)

 「あ・うん」などのテレビドラマの脚本家として、直木賞作家として、「昭和」という時代を駆け抜けた向田邦子さん。航空機事故で急逝するまでの数年間、しばしば下町情緒を楽しんだのが東京・日本橋人形町だった。

 
イラスト・岡澤香寿美
向田邦子さんが愛した町

 水天宮でお参りし、昔懐かしい味の和菓子を土産に求め、甘酒横丁では店のガラス越しに職人の技を眺める。人形町散策を楽しむ様子は、エッセー「人形町に江戸の名残を訪ねて」(文春文庫「女の人差し指」)に描かれている。

 おなかがすくと顔を出したのが、「京樽」と洋食の「芳味亭」だ。芳味亭は座敷で食べる洋食屋として知られるが、向田さんはいつも入り口近くのテーブル席に好んで座った。「この席からは厨房(ちゅうぼう)がよく見える。料理が得意だったというから、私たちの仕事が興味深かったんじゃないかな」と、料理長の後藤秋夫さん(72)は懐かしそうに語る。

 歩くのに疲れたら、「快生軒」のミルクたっぷりのカフェ・オ・レでひと休み。ここでも入り口右の席で読書にふける姿を、3代目ご主人の佐藤方彦さん(68)ははっきりと覚えている。「歯がきれいな人だった。すがすがしく理知的でした」

 ぶらぶら歩きの締めくくりに訪ねるのは、刃物を扱う「うぶけや」。小出刃や柳刃、皮むき包丁を求め、愛用していた。

 「『刃を入れたときの感じが、すごくいいのよね』とほめて下すって。その店先に腰掛けて、おしゃべりを楽しみました」と、おかみの矢崎美代子さん(77)。

 町のそこここ、今もここで暮らす人々の心の中に、向田さんの面影は静かに息づいている。

 向田さんの母は、身ごもると水天宮に安産のお札をもらいにいった。向田さんは48歳のとき、その「お礼参り」で人形町を訪れたと記している。

 妹の和子さん(67)は「姉は46歳のとき、乳がんを患った。その後、脚本の仕事から少し離れ、エッセーを書き始めました。病気になって、ふと自分の原点を見つめ直したいと思ったのでしょう」。この町にも、原点を探しに訪れたのかもしれない。

 事故から来年で25年。ビルが立ち並ぶ一角に、愛した店の数々が今なお健在と知ったら、向田さんはどんな顔をして喜ぶだろうか。

(中津海麻子)

  趣あるしゃれた店名

 1783(天明3)年創業、刃物専門店の「うぶけや」(TEL03・3661・4851)の店名は「やわらかな産毛もそれる、抜ける、きれる」からきている。喫茶去「快生軒」(TEL03・3661・3855)の「喫茶去」(きっさこ)とは、中国唐代の禅語で「お茶を召し上がれ」の意。初代店主が用いたこの言葉がきっかけで、喫茶店という呼び名が広まっていったと伝えられている。

  人形ギャラリー兼アトリエ

 人形町の名は江戸初期、芝居で使う操り人形を作ったり、修理したりする人や、舞台で操る人形師が多く住んでいたため、「人形の町」の由来がある。向田さんはエッセーで「不思議なことに、現在人形町には人形をあきなう店は一軒もない」と解説しているが、辻村寿三郎さんが96年にギャラリー兼アトリエの「ジュサブロー館」(TEL03・3661・0035)を開いた。入館料1000円、(水)休み。


粋な色っぽさを感じる
 辻村寿三郎さん(人形師)
 「人形を飾るだけでなく、作るところも見られる空間を」と、人形ギャラリーを開きました。実は当初、人形町にこだわってはいなかったのですが、今では呼ばれてきたのかな、なんて思います。かつて芝居や芸者遊びで栄えたこの町には、粋な色っぽさを感じさせる空気が、今でもそこかしこに潜んでいるのを感じます。
 ■33年生まれ。着物デザインや、舞台・映画の衣装デザイン、脚本、演出と幅広く活躍。


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