向田邦子さんが愛した町
水天宮でお参りし、昔懐かしい味の和菓子を土産に求め、甘酒横丁では店のガラス越しに職人の技を眺める。人形町散策を楽しむ様子は、エッセー「人形町に江戸の名残を訪ねて」(文春文庫「女の人差し指」)に描かれている。
おなかがすくと顔を出したのが、「京樽」と洋食の「芳味亭」だ。芳味亭は座敷で食べる洋食屋として知られるが、向田さんはいつも入り口近くのテーブル席に好んで座った。「この席からは厨房(ちゅうぼう)がよく見える。料理が得意だったというから、私たちの仕事が興味深かったんじゃないかな」と、料理長の後藤秋夫さん(72)は懐かしそうに語る。
歩くのに疲れたら、「快生軒」のミルクたっぷりのカフェ・オ・レでひと休み。ここでも入り口右の席で読書にふける姿を、3代目ご主人の佐藤方彦さん(68)ははっきりと覚えている。「歯がきれいな人だった。すがすがしく理知的でした」
ぶらぶら歩きの締めくくりに訪ねるのは、刃物を扱う「うぶけや」。小出刃や柳刃、皮むき包丁を求め、愛用していた。
「『刃を入れたときの感じが、すごくいいのよね』とほめて下すって。その店先に腰掛けて、おしゃべりを楽しみました」と、おかみの矢崎美代子さん(77)。
町のそこここ、今もここで暮らす人々の心の中に、向田さんの面影は静かに息づいている。
向田さんの母は、身ごもると水天宮に安産のお札をもらいにいった。向田さんは48歳のとき、その「お礼参り」で人形町を訪れたと記している。
妹の和子さん(67)は「姉は46歳のとき、乳がんを患った。その後、脚本の仕事から少し離れ、エッセーを書き始めました。病気になって、ふと自分の原点を見つめ直したいと思ったのでしょう」。この町にも、原点を探しに訪れたのかもしれない。
事故から来年で25年。ビルが立ち並ぶ一角に、愛した店の数々が今なお健在と知ったら、向田さんはどんな顔をして喜ぶだろうか。
(中津海麻子)