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題字・イラスト 井沢洋二
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早実・斎藤投手のしなやかに伸びる腕から放たれた渾身(こんしん)のストレートを、駒大苫小牧の田中選手も渾身のフルスイング。
「アパッチ野球軍」よりも、「キャプテン」よりも「タッチ」よりもドラマチックな今年の夏の甲子園に、全国のファンが熱狂した。
グラウンドの闘いも、スタンドの応援も熱かったが、甲子園も暑かった。台風や熱低やオホーツク海高気圧の影響で、東京の空を怪しげな雲が覆っていても、テレビの中継画面には、夏の陽(ひ)に輝く甲子園が映っていた。
大会期間中の東京と神戸の最高気温を比べてみる。東京は30度前後、神戸は37度にも達した日もある。大会16日間で、東京が神戸の気温を上回ったのは4日しかなかった。
甲子園は東京よりずっと南国だということを改めて知った。
決勝戦が再試合となったのは37年ぶりのこと。松山商高VS.三沢高の延長18回の熱戦の記憶は、今もはっきり僕に残る。
土用波とクラゲがやって来て、静けさを取り戻した逗子海岸と同様に、子供の僕にとって高校野球の決勝戦は、夏休みの終焉(しゅうえん)を予感させる、ちょっぴり悲しい行事だった。
小学2年生の僕は、夏休みも終わりに近づき、外での遊びに飽きて家にいた。テレビで野球観戦でも、と思ったその日に限ってテレビが故障。朝から「桜テレビ」のおじさんが修理にやって来た。
修理中のテレビは、付いたり消えたり。いつまでたっても、修理も終わらないが、試合も終わらない。時々、画面に映るずらりとゼロが並ぶスコアボードをもどかしく眺める。
あの頃は、9月になると、真夏日が続くようなことはなかった。高校野球が終われば、最高気温は30度を下回り、秋の気配を誰もが感じた。
記録を調べれば、37年前の決勝戦の2日間の最高気温は31度台。今年の決勝戦は33・8度、再試合は32・9度。ここ甲子園にも地球温暖化の影がしのび寄る。
でも僕は、まだまだ暑い日が続いても構わない。だってこの夏、海に入っていないもん。