ごはんを食べ終えるまでテレビの部屋に行ってはいけません−−。それが我が家のルールだった。食べ終えた家族がテーブルからひとりふたりと、居間に流れていく。私はいつもビリだった。別に末っ子だったからでも、食が細かったからでもない。
かなりのおかず食い。ご飯粒に全く興味がなかった。から揚げなんかが出た日は父か私か、いつも本数を競っていたぐらいなのだから。だから毎晩、目の前のおかずに目がキラキラ、おなかが膨れてくると手付かずのご飯茶碗(ぢゃわん)を眺め、口数が少なくなっていった。
しかし母はそれを許してくれなかった。「ご飯粒も食べなさい。お百姓さんが汗水流して作ったお米を、1粒だって無駄にしてはいけません」。この母の言葉にも聞き飽き、ふざけて復唱してしまった時には、「わかっているなら食べなさいっ!」と余計に怒られるのであった。
しかも大嫌いだったジャコとピーマンの炒(いた)めものを容赦なくご飯の上に振りかけられ、私は憤慨するのであった。ひと口ふた口、いつも頑張ってみるのだが、なんせおかずが満タンに入っているので限界である。そして最後は決まって麦茶がけご飯になる。何度もウップ、ウップとなりながら毎晩同じ流れをたどっていた。
そんなふうにご飯もおかずもフルコース食べて育った私は、小学6年生にして身長が160センチ近くもあったのである。