一、人のふり見て我がふり直せ
私は狂言の家に生まれて、小さい頃から伝統ある「型」を祖父の六世万蔵、父の万作からプログラミングされて育ちました。そういう意味で以前、自身を「狂言サイボーグ」と表現したことがあるのですが、言葉の響きからロボット的な、完璧(かんぺき)なものとして解釈された方も多かったようです。しかし、そうではありません。サイボーグは半分は機械ですが、半分は人間です。デジタルに機能する「型」を、状況に応じて適宜操作するアナログな「私」という感性があるのです。それは経験によってのみ獲得できるものなのかも知れません。
「人のふり見て我がふり直せ」というのは、私のひとつの信念です。人を崇(あが)めたり貶(おとし)めたり感想を言うのではなく「なぜ良いのか」「なぜ悪いのか」を考えることが重要なのではないでしょうか。そして、自分はそれが出来ているのか、出来ていないのか……。そういう風に物事を相対化して判断する感性を大切にしています。先輩方や才能ある若い人たちを見て、自分にはない「こういうツールもあるんだ!」と発見する。表現に対しては、常に貪欲(どんよく)でありたいですね。
自己顕示欲の強い私は、狂言以外にも様々なことに挑戦させて頂いております。しかし、息子に対して師匠となった今、自己表現に走ってばかりもいられなくなりました。「型」をきっちりやり、表現とはどうあるべきかを教えていかなくてはなりません。時代やお客さんに応(こた)えることも大切ですが、一人前になるまでは、プログラミングの初期設定が必要不可欠なのです。その後は応用編で、人生の機微が加わったりしながら、自己の表現を確立するのだと思います。そういう意味で、私は最近の舞台でようやく「生活臭が出てきた」と言われるようになり、ホッとしました。年頃の娘にも「オヤジみたい」と言われますが(笑)。(談)
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■