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2009.6.17(水)更新  大林宣彦哲学

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三、情報よりは物語を

 僕が子供だった頃は、日本中が遠かった。穏やかな瀬戸内の海辺で育った僕などは、地図の上に「鬼怒川」という川を見付けて、それはどんな恐ろしい川かと不思議だった。で小学生の知恵でこれを「キド川」と呼んだのですね。

 大学生になって上京し、夏休みに東京の友と旅行をしようとなり「ではキド川へ行こう」、と叫び出して恥を掻(か)いた。「あれはキヌ川だぞ。お前は無知だなぁ」。

 数年前子供たちを連れて、映画の撮影で鬼怒川へ行った。今では川辺の土手の大きな看板に「きぬ川」と書かれていて、子供らは「わ〜い、きぬ川だ」、と燥(はしゃ)いでいる。その内一人が「ぼくの生まれた町でも、川にきぬを流して染物をつくります」、と嬉しそうに言う。で看板の裏側に向かわせてみると、子供は驚いて帰って来る。「おにがおこる! きぬではないんですか?」。裏側にはちゃんと漢字で「鬼怒川」と記してあるんですね。

 今は情報時代だから誰もが「きぬ川」と読めるのは有難いが、この川に「鬼が怒る川」と名付けた昔の人の思いやその地域の風土や文化の物語が失われていく。「鬼怒」と「絹」とを間違えたままで子供らが育っていくと、日本の明日はどうなって了(しま)うんだろう? 「怒」という字が「ど」だけではなく「ぬ」とも読めるんだと知っていくのは面白かったなぁ。

 「情報」は文明社会の道具だから、より速く皆が同じ答を得るのが良い。けれども「物語」は暮しの文化の古里だからゆっくり経過を楽しむ。僕は今はもう、情報よりは物語の時代を誰もが望み始めているんじゃないかと思うのですね。

 だから僕は映画も分かり易く、よりは不思議な物語を作ります。一度見て二度見て三度見て、語り合って語り合って夫(それ)ぞれに感想が異る。互いの「オンリーワン」を知り合って絆(きずな)を創(つく)る、違いを許し合い深め合う時代に近付きたいなぁ。

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■おおばやし・のぶひこ
 映画作家。38年生まれ。最新作「その日のまえに」のDVDを販売・レンタル中。
 
(2009年6月17日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)
 
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