坑夫たちの生き様を思う
銀鉱石を求めて掘られた坑道「間歩(まぶ)」は豊かな緑の中に点在している。坑道跡で唯一公開されている「龍源寺間歩」は歩いて通り抜けでき、全長600mのうち157mを見学できる。狭い場所では幅も高さも1・5メートルほどしかないが、今では床は舗装されて歩きやすく、照明も付いている。しかし壁にはノミで掘った跡が生々しく残り、暗闇での苦労がしのばれる。
重労働で平均寿命は30歳ぐらいだったという坑夫たちの供養のために作られた五百羅漢像が、鉱山町・大森地区の羅漢寺にある。一体一体異なる仕草や表情から、ここに来れば亡くなった家族の面影に会えると伝えられた。
幕府の代官所跡には、表門を当時のまま残した「石見銀山資料館」が立ち、鉱山の工具や古文書などが幅広く展示されている。
周辺には古い商家を利用した食堂やカフェ、雑貨店なども増えてきており、散策コースも設定されている。
温泉がわく港町を散歩
旅館や共同浴場、社寺がこぢんまり立ち並ぶ温泉津(ゆのつ)温泉街は石見銀山から車で約30分。1300年の歴史を持つ「元湯」などがわき、昔ながらの風情漂う静かな集落だ。
少し足を延ばして、銀の輸送に使われた港「沖泊」へ。湾には船をつなぐために岩を加工した「鼻ぐり岩」が数多く残り、当時のにぎわいを感じさせる。
石見銀山とは
16世紀に博多の商人が発見したと伝えられる。戦国時代から江戸時代にかけて大量の銀を産出し、一時は世界の銀の3分の1を生産したといわれる。その銀は貿易を通じて海外にも渡り、誕生し始めた世界経済の形成に大きな役割を担った。世界遺産登録には、国際機関から一時「登録延期」の勧告もあったが、逆転で登録を果たした。