甘辛い味にワサビの香り
マガモを使ったという証しの羽根が添えられた赤い椀(わん)のふたを開けると、とろりとした茶色の煮汁から湯気が立った。
カモ肉、すだれ麩(ふ)、シイタケ、旬の野菜をだし汁で煮て、ワサビを添えた加賀料理の代表格「治部(じぶ)煮」。肉にまぶした小麦粉がうまみを閉じ込め、汁にとろみをつける。
天盛りのワサビを煮汁に溶き、白い脂身で縁取られたカモ肉をかみしめた。甘辛い味付けと肉のうまみをワサビの香りが引き締める。表面に幾本もの細い筋を刻んだ「すだれ麩」は歯応えがあり、一口かむと煮汁がしみ出た。彩りを添えるホウレン草は季節によってセリや加賀野菜「金時草(きんじそう)」に変わる。思いのほか濃厚な味だ。
「じぶじぶと煮る」から?

器について語ってくれた郷土料理研究家の青木悦子さん
|
小麦粉をまぶすという欧風料理のような調理法から、キリシタン大名の高山右近が加賀にいた折に考案したともされる治部煮。その名の由来には諸説ある。江戸時代の料理書には「鴨の皮を鍋にていりだし、たまりにして加減してじぶじぶと云わせ─」と書かれているという。加賀藩前田家の料理人を代々務めてきたという料亭「大友楼」7代目店主の大友佐俊さん(62)は「煮るときの音を表す擬声語から、そう呼ばれるようになったのでは」と話す。ほかに、豊臣秀吉の兵糧奉行だった岡部治部右衛門が朝鮮から持ち込んだという説などがある。元は武家の料理だったが、だんだん庶民にも伝わっていった。
治部煮は「殿様料理」である加賀懐石の一品として出されることが多い。郷土料理研究家の青木悦子さん(77)は観光客が気軽に立ち寄れる店をと、郷土料理店「四季のテーブル」を主宰している。治部煮をご飯の上にのせた「じぶ煮丼」や「じぶステーキ」など肩ひじはらない料理が味わえる。
優美な器もごちそう
金沢の食文化には器も欠かせない。治部煮は薄手で口が広く底が浅い金沢漆器「治部椀」に盛られる。表面は塗りだけで内側に豪華な蒔絵(まきえ)が描かれているものもある。「蒔絵もごちそう。器は『加賀百万石』のもてなしの美意識」と青木さん。優美な器や上品な盛り方には京都の影響もあるようだ。「ここには日本海の海の幸と白山山系の山の幸の両方がある。それに加賀百万石の歴史が加わって根づいたのが金沢の食文化です」