拝啓 向田邦子様
出会いは中学生の時でした。随筆「字のない葉書」を読んで、子を思う父親の姿に感動しました。折に触れ、小説や脚本も読みました。そして今、あなたが少女時代を過ごした鹿児島を訪ねています――。
1939〜41年、当時小学生だった向田さんは鹿児島市で暮らした。脚本家になり38年ぶりに帰省すると、町並みは大きく変わり、変わらないのは桜島だけだとエッセーで綴(つづ)っている。
それから30年。私はボランティアガイドの浦川若朗さん(74)とゆかりの地を歩いた。
繁華街の天文館を通り、向田さんが通った山下小学校へ。校庭の片隅に当時の校門の柱が残る。門越しに見える子供の姿に、浦川さんは「おかっぱ頭の向田さんが重なるね」と笑った。
近くに喫茶「メルヘン」がある。継母が向田さんと同級生だったという店主の吉冨祐子さん(65)は、向田さんにコーヒーを淹(い)れた。テレビドラマは迷わず向田作品を見ていたので緊張した。「『おいしかったわよ』って言ってくれて」。その後、向田さんから礼状とシイタケのつくだ煮が届く。こまやかな心遣いに感激し、今も器のふたをとってある。「それからは、人にすぐ礼状を書くようになりました」と吉冨さん。私にも手紙を送ってくれた。
――城山の温泉からは、昔と変わらない桜島が一望できます。あなたの心遣いも人の心に残っていました。湯をくぐった手で目元を押さえました。夕暮れ時のせいか、涙があふれてきます。
敬具。
文 甲田朋子
撮影 比田勝大直