梅雨があけそうであけない今日このごろ。でも私はもう冬の備えのために動き回っている。ストーブにくべる薪(まき)を集めているのだ。
お伽(とぎ)ばなしだと、おじいさんは山へ柴刈(しばか)りに、となるところだが、昨今の薪事情は昔よりずっと情報化(?)がすすんでいて、小さなネットワークまでできていたりする。地元の不動産屋さんに新築別荘の施主から、家を建てるので敷地内の木を伐採します、と連絡が入り、そこから薪ストーブを持つ家々へ、薪が出たよ、と情報が回るしくみだ。それ用の連絡網まであるくらいだが、そこに名前を載せてもらうには、普段からのつきあいが大きくものを言う。
春の山菜とり、夏の山歩き、秋のもみじ狩り、冬のたき火を囲んでの炭焼き作業など。つまり年間を通じて、どれだけ田舎暮らしを体を使って楽しんでいるか認定されることで、名簿の順位がぐっと上がる。認定の基準はとても単純。力仕事が得意で正月のもちつきには欠かせないとか、農作業に精を出しているとか、週3回は山に出かけるほど山登りが好きとか。でかい声でよく笑うなんてのでもいい。それだけでちょっと尊敬されたり、愛されたりと実に素朴な人間関係がネットワークを支えている。
人間とは本来そういうものなのだろうが、田舎には自然が残っているせいで、仕事以外の部分で日常的に実力を発揮しやすいという良さがある。仕事は利害関係がはっきりし過ぎているから、勝っただの負けただのと後がやっかいなところが困る。
私は今年新たに薪ストーブの持ち主になった。だから“柴刈り”は初めてのこと。新築現場に行ってみると、小枝どころではない太い幹までが山積みされていて、呆然(ぼうぜん)としてしまった。とても私の手に負えそうにない代物だ。しかしここでもネットワークがものを言う。不動産屋さんから連絡を受けた近場に住む山仕事の得意な人達や、農作業仲間が次々と軽トラで集まって来て作業を手伝ってくれるのだ。こんな時はチェーンソーのうなる音までなんだか温かく聞こえてくる。作業を終えた後は、使い方も手取り足取り教えてもらった。この手達がいてくれたから、私は見知らぬ土地でも生きてこられた。
(タレント・エッセイスト)