自然の中で暮らしていると、自分がこの地球上に生かされていることを実感できる。雨の雫(しずく)一つにしろ、空気の動きにしろ、太陽の輝きにしろ、これがあるから今日も私は水と食べ物を与えられ、生きていられるのだなあと思う。だから自然との共存という言葉を耳にする時、人が自然に優しくするという感覚では受け止められない。反対に、自然が人と共存してくれていると感じる。私たちは、この地球という大自然の中で生かせて頂いている、そんなとても謙虚な気持ちになるのだ。
以前、イギリスに環境教育の取材に行ったとき、現地で環境保護に取り組むさまざまな人々と会うことができた。そこで自然と人との関係について話し合う機会にも恵まれたのは、私にとって興味深い経験だった。自然を愛する者という点では同じでも、生きている国の違いからくる価値観の違いをはっきり感じた旅でもあった。
残念ながら私は英語がほとんどダメで取材の時には通訳を頼んだのだが、どうしても英語に翻訳できなかったのが先にも書いた、生かせて頂いている、という言葉だったのである。自分の力で生きているようだけれど、実は自然の大きな仕組みの中で生かされている。このニュアンスを伝えるピッタリの英語を通訳の人は見つけられなかった。とても優秀な通訳であるにもかかわらずだ。
この謙虚な感覚は東洋的、特に日本的な感覚だったのである。私は、これから自然と人との共存が一層重要な課題になっていく世界のことを考えたとき、今まで欧米的価値観にどことなく憧(あこが)れていた自分の感覚を百八十度ひっくり返す必要があると感じた。もっと、日本人が得意とする“お互い様”や“譲り合い”“ほどほど”といった、良い意味であいまいな感覚を世界に輸出する必要があるのではないかと思ったのだ。これらは今まで、煮え切らない日本人の悪い点として理解されてきた気がするが、地球規模で起こりつつある資源の枯渇や農産物の減少、人口爆発などの問題を考えると、日本人的な分かち合いと譲り合いの精神こそが世界を救うキーワードになる気がして、日本人に生まれた自分を誇らしく感じる今日このごろなのである。
(タレント・エッセイスト)