《わたくし、生まれも育ちも葛飾柴又です》。映画「男はつらいよ」の主人公、フーテンの寅さんの口上であまりにも有名なこの街。彼が永遠に旅立って、はや十年目になる。
《帝釈天(たいしゃくてん)で産湯を使い−−》。その帝釈天参道へ入る。「いらっしゃい、いらっしゃ〜い」。寅さんの実家のモデルになったとされる団子屋さんから、呼び込みというには優しげなおばちゃんの声。てんぷらを揚げる切れの良い音が参道に大きく響く。向かいでは職人さん2人が世間話をしながら、網の上でコトンコトンとせんべいをひっくりかえす。
漂ってくるおいしそうな音。思わず寄り道したくなる。チリンと自転車が通り抜けていき、映画のシーンそのもののような光景だ。「今日もお参り?」と声をかけてくれたのは以前立ち寄った佃煮(つくだに)屋さん。音に誘われ、声に呼ばれて、柴又との心の距離がどんどん近くなってくる。
トコトントコトン、トットコトットコ……。職人さん2人が呼吸を合わせながら、大きな白木のまな板で(あめ)切りだ。これが聞こえたら帝釈天はすぐそこ。中に入ると、お地蔵さんをたわしで擦(こす)る善男善女の姿。写真を撮っていると「こっちのほうが場所がいいよ」と見ず知らずの人に声をかけられる。そして気がつく。そうか、映画の世界は虚構じゃなく、柴又には本物の人情がある、だから寅さんが生まれたんだと。
訪れる者を誰でも温かく迎え入れ、そっと送り出してくれる。粋なふれあいが生み出すにぎわいが、次の寅さんを連れてくるかも。そんな気にさせられる。
(横内陽子)