軽く車体を揺らし、レトロな風情の路面電車が走り出す。地面への独特な密着感がある、懐かしい振動。時折、規則正しいリズムが床の下を移動する。
いつのまにか耳は、もうひとつの音を探していた。車掌が運転手に「止まれ」と1回鳴らし、「発車オーライ」の合図で2回鳴らした鉦(かね)の音。チンチン電車の名の由来ともなり、この車内でも、かつて軽やかに響きわたっていたはずの音だ。
しかし、ワンマン車両では、その合図も無用となった。代わりに聞こえるのは、客が運転手に降車を伝えるブザーの無機質な音……。
失われたものに誘われ、歴史をひもといてみる。大正時代、広島の路面電車は幅18メートルの道路を引くことを条件に営業が許可されたという。街はチンチンという音と共に整備されてきた、と言えるかもしれない。
電鉄会社も、そのあたりは心得たもので、新型車両を導入する傍ら、開業当初の電車を復元した車両や、大阪や北九州で使われなくなったものなどを走らせ、ファンの間で「路面電車の博物館」と称されている。
実は古き良き「音」の方も、絶えてしまったわけではない。
数年前に走り始めた緑色の車両に乗る。電子音のメロディーや小刻みなセンサー音。車掌と乗客の会話や小銭の音が聞こえる。埋もれるように、地味なブザーの合図も。5両連結なので車掌が乗務し、運転手への連絡も必要になったのだ。
発車の合図は、やはり2回。チンチン電車の音の遺伝子を、こんなところに見つけた。
(鳥越けい子)