冬の紙漉(す)き仕事は、日の出前から始まる。鳥取市青谷町の、日本海の波音も届かない山あいの集落。谷間を流れる清水はしびれるほど冷たく、ストーブにたらいを載せ、お湯で手を温めながらの作業になる。
「寒の紙といってな。寒さが厳しく水が冷たいほどいい紙ができる」
そう語るのは、この道約60年の長谷川寿さん(73)。漉き舟から水をくみ取り、コウゾやミツマタの繊維が均等にからみあうよう簀桁(すげた)を巧みに揺り動かす。白くとろりとした水は、ヌメヌメと光沢を帯び、漉くたびに生き物のようにはね踊り、柔らかくはじけるような音色をたてる。
簀桁を釣ったひもは天井で竹ざおにくくられ、それがしなってきしむ。青谷町に伝わる紙漉き唄(うた)の一節にもある。《因州因幡(いなば)の 手漉きの紙は 殿の御用で ギッチョコ ギッチョコ ギッチョンチョン》
「昔はどの家でも紙漉きをしていたから、歩いていると誰が漉きようるのかわかったもんですわ」
簀桁に残った水を小気味よくはね上げると、キュッキュッと愛らしい音が鳴る。仕上がりの風合いの差は、この時の手首の動きや強弱のリズムによって生まれる。漉き手の個性は、音の個性となって、かつての集落はさぞかし、にぎやかな響きに包まれていたことだろう。
書道用紙として知られた因州和紙も、時代とともに高級和紙へと需要が変わった。人によって漉き方が違うことの妙味が価値を持つ時代になった、と長谷川さんは言う。工房を訪ねれば、そんな職人の矜持(きょうじ)が耳で味わえる。
(中村正人)