黄金週間のまっただ中、俺(おれ)のベランダでは八重咲きの白い椿(つばき)が咲き、冬に植えておいたチューリップが強風に耐えて斜め一直線にかしいだまま、紫色の花をつけた。
だというのに、連載は1回休みだったのである。書くことは様々あるのに……と俺は世間が海外旅行などに浮かれている間、歯がみをしてベランダを見つめ、天を呪い地を呪い、主に朝日新聞を呪いに呪った。
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| 題字と季語イラスト・上田みゆき |
おかげで椿もチューリップも終わってしまったではないか。
だが、ありがたいことにカクテルローズが咲き続けているのである。
数年前、舞台をやっているときにお祝いでもらったその鉢植えを、俺は持って帰って育ててきた。去年あたりはすっかり花が小さくなっていたのだが、今年初め浅草に遊びに来た母親がいつものようにベランダを勝手に点検し、「思いきり切り詰めた方がいいわよ」と言ったのである。
俺は基本的に『無剪定(せんてい)主義者』である。伸びるにまかせ、咲くにまかせ、雑草さえ放置する。自然にまかせるのが一番という思想。
ところが、素人園芸家としてのキャリアが長い母親は、今年に限って説得力ある言葉を吐いたのだった。「鉢植え自体が不自然なことなんだから、そこは踏ん切りよく剪定しないと。植物だって世話してる方だって、花が咲いたり葉がよく茂ったり、色々と変化があった方がいいでしょう?」
痛いところを突かれたのであった。俺はすっかり自然愛好家のつもりになっていたのだが、そもそもベランダーという存在自体が生命にとって不自然なのだ。
ぐうの音も出ず、俺はハサミを持って外へ出た。そしてカクテルローズをはじめとして、いくつかの鉢に泣く泣く剪定を行った。
悔しいことだが、4月末からカクテルローズが咲き始めた。花はもらって帰った当初のように大きく力強かった。不自然さを我が身に引き受けて、生きている茎に麻酔もせず外科手術を施した結果がそれである。
複雑な思いのまま、俺は考えた。生まれた時からの付き合いである母親は、おそらく俺にも何度かの剪定を施したのだろう、と。バラがそれでも強く咲いたように、俺も今こうして生きているのではないか、と。
悔しいがきっとそうだ。