実が成りもしないイチジクの木を、後生大事に育てているのである。
多少の水不足でもイチジクは決して枯れず、天狗(てんぐ)が持つウチワのような大きくて頼もしい葉を、細めの木のあちこちに茂らせる。
真冬には丸坊主になってしまうけれど、それでも節々には生命力がみなぎっており、猛禽類(もうきんるい)の爪(つめ)にも似た芽をいつなんどき飛び出させるかわからない。
つまり、どう育てても枯れることのなさそうな強さを、この中近東出身の植物は持っているのだ。
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| 題字と季語イラスト・上田みゆき |
その安心感こそが俺(おれ)の愛をかちとってきた、とつい昨日まで思っていた。まさに昨日の晩、窓からイチジクの木の影を見やるまで。
突然、俺は思い出したのである。子供の頃、つまり昭和40年代のことだ。
その頃にはまだ東京の下町でもクワガタが捕れた。神社の周囲にあるブナだかナラだかの根元で、俺たちは夏の宝物をゲット出来ていたのだった。
小学校高学年にいたるまで、将来昆虫博士になると信じて疑わなかった俺は、ヤゴを育ててトンボにし、キャベツ畑に発生するモンシロチョウの幼虫を観察して時を過ごしていた。
で、イチジクである。すっかり大人になり、昆虫博士になる夢を忘れ果てていた俺は、細く節くれだったイチジクの枝のカタチをぼんやり眺めるうち、子供時代によく似たイチジクが道端から生えていたことを唐突に思い出したのだ。
小さな家が軒を連ねる隙間(すきま)、曲がりくねった細道のちょうどカーブのあたり。そこに俺が執着してやまない、丈低いイチジクが確かに存在していたのである。
俺は子供でも背伸びをすればてっぺんまで手が届くようなその木の細い幹で、カミキリムシを見つけたことがあったのだった!
ゴマダラカミキリ。
凄(すご)く立派なやつ。
手の中でキイキイと音を立てる獲物を、俺は小学生でいる間にたぶん2匹見つけていた。
俺はその思い出を忘れきれなかったのである。
だからイチジクに実が成ろうと成るまいと、かまわず愛着を持って育てていたのだ。
俺はうれしかった一瞬を記憶にとどめ、その瞬間をイチジクに投影したまま愛し続けていたのだった。