今、俺(おれ)のベランダには花がない。
けれど、道端には色んな花が咲いているのである。
道端といっても、雑草とか緑化運動による植樹とかのことではない。
家の前の道路を半ば不法占拠してトロ箱や鉢を置いたり、植樹された土の部分を勝手に利用して好みの植物を植えたりしている同志諸君が、花で町に彩りを加えているのだ。
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| 題字と季語イラスト・上田みゆき |
俺は以前から、彼ら不法占拠組のこともベランダーと呼んでいる。くわしく言えばベランダー路上派。ストリート系である。
庭を持たない。そして、隙(すき)さえあれば、そこに植物を置きたくて仕方がなくなる。この衝動は持たざる者だけが理解しあえる共通の愛、もしくは執着だ。
少し前の夜の話だが、まさに緑化運動のために植えられた丈の低い、何の変哲もない常緑樹の間からにょきにょきとツルが伸び出してきていて、その先に見事な夜顔が咲いていた。
真っ白で大きな花。まるでその特徴のない常緑樹が咲いているかのような錯覚が起きるほど、夜顔は堂々と不法占拠を成し遂げ、味気のない緑化運動に命を吹き込んでいたものである。
路上派はほとんどゲリラである。平和なゲリラ。土があると見れば種をまいてしまう。苗木を植え込んでしまう。あるいは、悪びれる様子もなく、鉢をぎっしり置いてしまう。
おかげで俺は自分のベランダに花がなくても、彼ら同志諸君の果敢な活動によって季節の移り変わりを感じることが出来る。
学校のフェンスの外側にある30平方センチ以下の面積の中で育ち、ずいぶん長い間咲き誇っていた芙蓉(ふよう)も今は枯れている。車が通りにくいくらい玄関前にごっそり並べられた鉢の群れでは、あらゆる種類の菊が自らの時を謳歌(おうか)している。
小さなコスモスが咲き、ピラカンサが赤い実をたくさんつけ、俺のベランダでは実現しなかったダチュラの数回目の花期が訪れて、ベランダー路上派の努力が報われている様子だ。
彼らを同志とみなして目をこらせば、殺風景な町並みが実は花の群れに満ちていることに気づくだろう。
自分以外の誰かが、今日も水やりをし、花殻を摘んでいる。それが頼もしい。