胃の痛みが続き、病院に行かざるを得なくなった。どうやら炎症らしい。
元来、胃は強いし、暴飲暴食もしていないので、思いあたるのはスマトラ沖地震なのであった。日本の、特にテレビの報道は年末年始態勢に入ってしまって、津波発生後の惨状をきちんと伝えていなかった。
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| 題字と季語イラスト・上田みゆき |
仕方なく、CNNやBBCばかりを観(み)ていた。遺体の並ぶ光景が映り、もう動くことのない子供を親が抱きかかえて走っていた。どの映像もスキャンダリズムとの一線をどう引くかの苦しい判断を感じさせた。カメラマンもディレクターもプロデューサーもそれぞれに悩み、決断を下した結果がひとつの映像になっていた。一方で日本の報道は何も映さないか、モザイクをかけるかの一辺倒だった。
酷(むご)い映像はネットでくわしく観ればいい、という意見もある。だが、そうした情報の二重化は“正視した者の特権意識”を駆り立てる。許されざる日本の女児誘拐殺人事件においても、容疑者は携帯電話で映像を持ち歩き、この特権意識にひたっていたのだった。
ブッシュ親子とクリントン元大統領は、早くも3日に居並んでみせ、アメリカ全土に寄付を呼びかけた。我が国は振り回され、首脳の顔が見えて来なかった。
日本はどうなってしまったのだろう。あらゆることが胃を痛めつける。俺(おれ)は日々、何かに耐えるような気持ちで暮らしている。
そんな俺の拠(よ)り所が今、ベランダのブロッコリーであることが不思議だ。昨年末にたまたま苗を買ってきて、日陰のプランターに植え込んだのである。
期待せずに育てていたブロッコリーはゆっくりと灰色がかった緑の厚い葉を茂らせ、中央に小さな蕾(つぼみ)をつけ始めている。
当然ブロッコリーは沈黙を守っており、ひたすら生きることだけを念頭に置いて静かに育ち続けている。
その様子を目にすると、俺は一瞬、苦しい世界から逃れたような気になる。そして、まずは援助だ! と自分をたて直す。
災害も俺もブロッコリーも同じ世界の中にある。中にあってブロッコリーは寒空の下、自分が出来ることに力を尽くしている。
その静かな生命が、ほんの少し俺を落ち着かせる。