これまで何度も話題にしたボケが今、ベランダで咲いている。スーパーで安く買った方、植え替えを我慢したため土が俺(おれ)の握りこぶしくらいしかない方だ。
よくもそんな貧弱な環境で花を出現させたものだと感心する以外ない。見ていると白い花弁は数日で赤みを帯び始め、やがて半透明のアメ細工のようになる。
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| 題字と季語イラスト・上田みゆき |
曇り空がこのボケにはかえってよく似合う。淡く透き通った花弁に弱い日の光が差し込むと、そこだけぼんやりと輝くのだ。ちょっと幻想的な光景である。
全体に作り物めいて見えるのは、花弁のせいだけではない。か細い幹からは花ばかりが突き出ていて、葉が目立たないのである。
一方、その鉢の隣では、1年越しの先輩ボケが新人を追いかけるように緑色の丸い蕾(つぼみ)をふくらませつつある。こちらは蕾同様に丸っこい葉を元気よく茂らせており、その葉に守られて蕾が育っていくかに見える。
葉とともに花を用意する先輩ボケは、たった1年で野生化したのである。花だけが目立つように交配させられても、鉢は短い間に先祖返りを果たしてしまう。
この過程はまことに神秘的と言わざるを得ない。植物という生命が隠し持った強い力は、ほんの1年のサイクルを経ただけで自己を原始の姿に戻そうと働く。
ふたつのボケを見比べつつ、俺は人為的な介入がいかにひ弱なものなのかを思い知る。むろん、そのひ弱な工作によってこそ、花だけが先に育つような幻想的な光景を楽しめるのだが。
同じような野生化は、俺のベランダだと新種のアジサイに顕著だ。今はすっかり葉を枯らしているアジサイだが、根元にはワサビに似た根茎が育っている。
導入初年度は小さな花をびっしりと咲かせていた。だが、2年目に入ると花がさらに小さくなり、数も減り、長さもまちまちになった。今年はなんだかよくわからない花になるだろう。
幾つものかけ合わせを経た新種だからこそ、先祖返りをするとアジサイらしからぬ風貌(ふうぼう)をのぞかせるのに違いない。奇怪な、見たこともないような不思議な植物の姿をあらわすのだ。
年月をかけて、野生の状態を復元すること。それもベランダーの楽しみのひとつである。都会的なベランダで植物を次々と先祖返りさせるのは痛快なことだ。