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2005.5.18(水)更新  いとうせいこうの自己流園芸ベランダ派
いとうせいこう タイトル

第53回 ライムに関する1年後の告白
 ライムが突然葉を落としてから、ほぼ1年になる。

 もともとは酒飲みの知人にプレゼントしようと思って買って来た鉢なのだが、いざ花が咲き、実が成ってみると手放せなくなった。

イラスト
題字と季語イラスト・上田みゆき
 俺(おれ)自身はジンライムなど飲む習慣がないので、成った実は収穫せずに観賞用にした。2年連続でライムは実をつけたものだった。

 ところが3年目、昨年の初夏のことである。ライムの葉の上に、蝶の幼虫が2匹ちょこんと乗っていたのであった。それはまぎれもなくアゲハチョウの幼虫で、すでに葉の一部を食べ始めていた。

 最初の一瞬は素直にうれしかったし、感動もした。マンション高層階にたどり着いた親の蝶は、そこに柑橘(かんきつ)類があると知っていたに違いなく、狙い通りに卵を産みつけたのだ。

 が、次の瞬間に俺を襲ったのは、今度は激しい絶望であった。その年のライムの調子は悪く、葉がたった4枚しか残っていなかったのだ!幼虫たちは数日で飢餓のどん底に至る!

 他の食料はベランダにないか……と、俺は自己の記憶の中を経巡った。サンショウが思いあたったのだが、やっぱりそれも調子が悪く、葉がほとんど付いていなかった。

 続いて瞬間的に俺が考えたのは(都合4瞬目だ)、幼虫たちのために柑橘類の鉢を買って来てやることだったが、俺はすぐさま無言で首を横に振った。

 俺はあくまで一介のベランダーであって、蝶の人工的育成にあたる器にない。そもそも、柑橘類の鉢が幾つあれば幼虫がサナギにまで育つか、俺には見当もつかなかったのである。

 さて、これで六つ目の瞬間について書くところまで来た。幼虫を見つけてから10秒もたっていなかった。俺の手には殺虫剤のボトルが握られており、早くも噴射が始まっていた。

 経験上、それ以上迷ったら悔いがより大きくなるのだった。迷ううちにライムの葉は次々と消え、幼虫は食べるものを失う。飼う気がないのなら、自分の手で殺すしかないのだ。

 翌日、俺の判断に抗議するようにしてライムの葉が全部散った。殺虫剤が原因らしかった。結果、何を守ったのかが不明になった。

 なぜか俺は、その枯れたライムをこれまでの1年間捨てられないままでいた。

 だが、もう時効だろう。明日、片づけようと思う。

(2005/5/18)

イラスト いとうせいこう・作家

1961年、東京生まれ。小説など活字のほか、映像、音楽、舞台など幅広い表現活動を展開しており、都会に住みながら主にベランダで植物を楽しむ「ベランダー」としても知られる。


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