ベランダでは現在、紫がかった濃い赤のサフィニアという花が力いっぱいに咲き、冬に葉をすっかり黒ずませて落としたマツリカが立派に病に打ち勝って次々と開花し、露草の蕾(つぼみ)たちが葉と葉の間からせり上がってきて一気にほころんでいる。
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| 題字と季語イラスト・上田みゆき |
他にも、エンジェル・トランペットが大きな花をつけているし、カクテルローズもその近くでふちの赤い花を日々開かせており、俺(おれ)の植物生活はまことに充実しているのである。
さて、こうしてベランダの様子を書くと、どうしてもひとつの誤解が避けがたく生じるらしい。俺は何度もしつこく自分のベランダの貧しさを強調してきたのだが、読者の中では異なった想像がふくらむのだ。
現にこれまで何人かの来訪客が「例のベランダを見せて下さい」と言い出し、俺はほくほくとサッシを開けてきた。すると、現実を目の当たりにした客人は、一様に黙り込むのである。
その長い沈黙の気配からは「まさか、こんなはずでは……」という当惑が見受けられ、見せた俺までもが気まずくなってしまう。
要するに、客人は鬱蒼(うっそう)とした森のごときベランダを予想しているのである。足の踏み場もないほどの緑の大楽園を。
だが、実際に足の踏み場がなければ、どうやって奥の鉢から花がらを摘みとるのか。いかなる魔法を使って腕を自由自在に伸ばし、縦横無尽な水やりを敢行するのか。また、植え替えの空間がない中で、土いじりなど可能か。
ということで、事実としてそこにあるのは、ぱっと見で2列か3列に並べられた鉢、または室外機の上に置かれた閑散とした植物の群れなのである。
ただ、同志ベランダーなら、そんな鉢のすき間のコーヒー茶碗(わん)ほどの器に、小さな緑がこびりついているのを発見するだろう。それはカランコエの枯れ残りである。同じく極小の鉢からは、鉄線花の苗がようよう死なずに生えている。
ぱっと見で2、3列しかない鉢の合間に詰め込まれた、背の低い植物の数々。同志はそこにブラックベリーを見つけ、どうだんツツジに目を輝かせるはずだ。
決して鬱蒼とはしていない。足の踏み場もふんだんにある。確かに貧相ではあるけれど、俺のベランダは工夫にあふれているのだ。それが俺の誇りなのだ。