植木市で買ったものの中には、ピーナツの苗、ししとう、こごみなど、食用の鉢が幾つかある。
さらに俺(おれ)は茶の木も1本購入したのだった。去年も売られていたとは思うが、その時は食指が動かなかった。それが今年は猛烈に欲しくなったのだ。
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| 題字と季語イラスト・上田みゆき |
たぶんテレビCMの影響なのである。世はお茶戦争≠ニ言われるほどの、緑茶の清涼飲料水ブームで、近頃はあまり手を加えていないお茶が最高≠ンたいな宣伝がやたらにある。
それでつい、「自分にも茶が作れるかもしれない」と俺は夢を見てしまったのである。売られている茶の木を前にして、見始めた夢はふくらみにふくらんだ。
新芽を摘めば味が柔らかいのではないか。乾かして粉状にすれば抹茶だろう。茎の部分だって茎茶になるに違いない。丈わずか50センチほどの茶の木に、俺は自分だけの壮大な茶園を見る思いがしたものだ。
ベランダに持って帰ってきた茶を、俺はじっくり時間をかけて剪定(せんてい)した。端が枯れた葉を全部切り取り、残った葉の表面に霧吹きで水をかけて艶を出した。
なにしろ、一枚一枚がお茶になると思っているから他の鉢とは扱いが違う。
ひとつだけ実がなっているのも、俺の気に入った。茶の実など一度も見たことがない。小さな実ひとつで茶がいれられるわけもないのに、さぞうまかろうと俺は飲むことばかり考えた。
数日間、俺は茶の木を磨きあげ、やがて少し冷静になって「お茶の作られ方」をホームページで調べた。
基本的に茶葉を蒸し、もみながら乾燥させる≠フであった。蒸すところまでは蒸し器でなんとかなりそうだったが、もむという作業がうまく想像出来なかった。蒸したての熱いやつを両手で握ったり、ぎゅうぎゅう押したりするのだろうか。あまりに難しそうだ。
ここに至って、初めて俺は素人にお茶を作れるわけがないという当たり前の事実に気づいたのだった。
あまり手を加えていないお茶が最高≠ニいうテレビCMは、誰にでもお茶が出来ますと言っていたわけではないのである。
俺は拍子抜けしたような気分になり、しかし勢いを完全に止めることが出来ずに、今日もまた茶の葉の表面を濡れ(ぬれ)ティッシュでふいたりしているのであった。