たとえ残暑が厳しかろうが、ベランダの鉢植え諸君を見る限り、夏は終わってしまった様子なのである。
感覚でしか言えないが、どの鉢も過酷な暑さとの闘いに終止符を打ち、秋に向かう前の小休止を楽しんでいるかのように見える。
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| 題字と季語イラスト・上田みゆき |
毎日の水やりに気を配り続けていた俺(おれ)も同じで、ここまでくればホッと息を抜くことが出来る。
盛夏には半日の油断が命とりであった。渇水を放置すれば短時間のうちに根が枯れ、植物は死に瀕(ひん)する。夏の暑さは凶器なのだ。
ところが、もう平気だ。多少葉っぱがしなだれていても、あわてて水やりをしなくてすむ。こういう判断はベランダーの勘でしか処理出来ないのだが、とにかくそういう時期が到来したのだ。季節は変化した。
夏の間、がむしゃらに水をまいていた俺は、ここでようやく余裕を持って我が陣地を見渡すことになる。すると、必死に水を与えていた数十の鉢の中の幾つかが、素性のわからないままであることに気づく。
よく知らないうちに育っていた植物。夏の厳しい闘いの中では、相手が何であれひたすら水をやっていたのだが、冷静になってみるとそれがどこのどなたか、まったく想像もつかない。
夏の間にニョキニョキ育ったのである。確かなのはそれだけだ。しかし、やつは一体誰なのだろう?
知らない植物のパターンは二つある。ひとつは「乗っ取り型」である。買ってきた植物が枯れる。その根元から別な植物が芽を出してくる。あれ、復活したのかなと思う。しかし葉の形が完全に違う。混乱する。
いまひとつはまさにその「復活型」である。枯れてしばらくしたのち表土から新たな芽が出る。しかし、こちらは成育した状態で買ってきているから、芽から育つ様子を知らない。それで相手が誰であるかがわからなくなってしまう。
こうして、数十鉢の植物の中に身元不明者が出る。
相手が誰かわからない以上は、むげに扱うことも出来ず、我々は丁重にもてなしを続ける以外なくなる。
首をかしげながら、我々はのびのびと育つ身元不明者に肥料をやったりする。
不思議なもので、そういう植物ほど寿命が長い。呼び名を決められないまま、下手をすると何年も、我々は彼らと苦楽を共にする。