季節外れもはなはだしいのだが、気にかかっているのはアジサイなのだった。
数年前に御近所ベランダーからいただいたアジサイが、どういう風の吹き回しか、去年から花をつけなくなってしまったのである。
 |
| 題字と季語イラスト・上田みゆき |
以来、やつはうんともすんとも言わず、丸っこい葉を適当に茂らせているばかりだ。
その葉が強ければ、まだこちらにも育てがいがあるのだが、これがめっぽう水切れに弱く、すぐしおれる。
しおれるのはかわいそうだから、俺(おれ)は咲きもしないアジサイの身をひたすら案じることとなり、他のどの鉢よりも早く水をやる。
この習慣を2年も続けていると、不条理な気分になってくる。花というほうびもないのに、なぜ俺は必死に世話をしているのか。いや、咲かないだけならまだしも、誰よりも早くへこたれるとは何事であろうか。
特に冬は、ベランダに出る回数を出来るだけ少なくしたいのである。たいていの鉢は寒がりの俺に協力的で、そうそう水を欲しがらずにじっと耐えている。
だが、アジサイだけは別だ。咲きもしないくせにすぐ弱音を吐き、俺をベランダに呼び寄せやがる。
夏のうちに処分してしまわなかった俺が悪いのである。2年連続で開花しなかったアジサイが、来年咲くとも思えない。俺は思いきってやつを捨ててしまうべきだったのだ。
このへんが俺の優柔不断なところで、まだ生きている植物をゴミ箱に放ることが出来ない。おかげで俺はアジサイの奴隷と化し、明日は捨てるぞ、あさってには捨てるぞと自分に言い聞かせながら、実りのない水やりを日々続けている。
この状況があまりにふがいなくて、俺は昨日からアジサイを水やり警報器≠セと思うことに決めた。アジサイがしおれれば、他の鉢も潜在的に水不足なのであり、やつは水やりのタイミングを教えているというわけだ。
アジサイが植物だと思うから不条理感が増すのであって、最新の水やり警報器≠セと考えれば腹も立たない。それは植物の形をしたマシンなのである。しかも動力は電池ではなく水だから、環境にも優しい。
今日もアジサイ型マシンは快調にしおれている。