昨年暮れの強風によって二つの鉢が見るも無残なありさまになった。
何日も吹き荒れた冷たい風は、まずバナナを壊滅に導いた。大きく広がる葉はちりぢりに裂け、ハタキみたいな状態になったのだ。
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| 題字と季語イラスト・上田みゆき |
南の島でもそうした光景はよく見る。抗しがたい風に対して、バナナの葉は率先して裂け、風圧を下げて幹が折れないようにする。
亜熱帯の植物の知恵というものを感じざるを得ないのではあるが、それにしてもベランダでは異様だ。
もうひとつ強風の被害をまともにくらったのがシシトウである。こちらは小さな柔らかい葉がくしゃくしゃに丸まってしまい、水分を吹き飛ばされてカリカリに乾いている。
あらゆる方向に吹き過ぎた風が葉っぱを四方八方に折り、結果葉脈がずたずたに切れてしまったわけだ。実際被害直後によく観察してみると、デタラメな折り紙をした後のように、葉に複数の線が入っていた。
一方で強風をやり過ごした鉢たちがノンキに育ってもいるから、こちらは風と植物の相性について考えざるを得なくなってくる。
バナナとシシトウは風に対して、葉を犠牲にする植物だと考えた。そのことによって他の部分を守るという戦略である。それ以外の植物は、たとえ幹が折れようとも葉を手放さない。残った葉があれば、それによって生き抜こうとする。
果たしてどちらの植物が風に強いといえるのか、俺(おれ)にもよくわからない。なにしろ、いかにも風に慣れていそうなバナナが大けがから癒えずに黒ずんでいるばかりだからだ。シシトウも次の葉を出さずにいる。
少なくとも、彼らは環境の変化に対して様々な防衛策を取るわけで、突発的な事態が起こるまで我々はその千変万化を知り得ない。見た目は同じ植物であっても、危機を前にすると彼らは違いをあらわにする。
それが生々しい生命の姿として迫ってくる。強風のような現象を通して、いつもは静かな植物がどう生き残るかのあがきを始める。生への執着を明確にする。
バナナもシシトウも俺はそのまま放ってある。一部が腐ればそれもまた戦略かもしれず、つまり生命のあがきだからだ。すさんだベランダは同時に、危機から立ち直る生命力にあふれている。と信じたい。