|
文楽公演「伊賀越道中双六」
|
吉田玉男の遣う十兵衛(左)と 吉田文吾の平作
|
長編の敵討ちの物語の中で、敵同士として宿命的な出会いをする親子の悲劇を描いたのが「沼津」の段。
東海道の沼津。沢井股五郎の案内を頼まれて西に向かう呉服屋十兵衛は、老いた雲助の平作に懇願されて荷を担がせたことから、平作が実の父と知る。平作と娘のお米も、十兵衛が黙って置いて去った金包みと印籠(いんろう)から、幼い時に養子に出した平三郎で、印籠はお米の夫志津馬の敵股五郎の物と分かる。
十兵衛の後を追う平作、お米。
床は竹本住大夫、三味線野沢錦糸。人形は吉田玉男の十兵衛、吉田文吾の平作、吉田簑助のお米。
「東路に……」の出だしから住大夫が、変幻自在の語り口で情景、状況を描写しながら平作になり、十兵衛になり、お米になる。その義太夫に合わせて人形が動く。
追いついた平作は、2人の子への愛の板挟みの中で、十兵衛に印籠の持ち主の所在を聞く。
「血筋と義理と道分け石、分けて血の緒の三界に、踏み迷うこそ道理なれ」
住が泣き、人形が泣く。
股五郎への義理で十兵衛は言えない。やにわに十兵衛の脇差しを抜いて自害する平作。自分が殺されたなら十兵衛の義理も立つというのだ。
十兵衛はまず抱きかかえた平作に、伸び上がって「落ちつく先は」とお米に告げる。
(八月一日 教宏)
=国立劇場 2月27日まで=
◆
寛永11年(1634)、伊賀上野で渡辺数馬が荒木又右衛門の助太刀で弟の敵を討った事件がモデルの10段の人形浄瑠璃。近松判二の絶筆となった。「沼津」は、6段目。
=2005年2月24日朝日新聞(東京本社版) 夕刊マリオンから
|