日本でも展覧会にあたるものは昔からありました。
中世の「座敷飾り」がまずそれにあたります。足利将軍の義満・義政らが集めた中国の一級の美術工芸品を「唐物具足(からものぐそく)」といいます。彼らは天皇や公家らを招いたとき「会所」と呼ばれる御殿に、牧谿(もっけい)、馬遠、梁楷(りょうかい)ら宋・元の画家の絵や青磁、白磁、天目茶わんなどの「唐物具足」を陳列して見せ、客は「極楽荘厳もかくの如くか」と感嘆したといいます。
江戸時代の寛政年間、京都や江戸の文人たちが、書画を寺院や料亭に持ち寄り展示した「書画会」も展覧会の一種でしょう。京都では皆川淇園の肝いりで1792(寛政4)年から7年間、春秋2回大規模なものが催され、江戸でも谷文晁の呼びかけで書画会が開かれました。京画壇の鬼才長沢蘆雪(ろせつ)は、1798(寛政10)年の東山書画会に、一寸(3・3センチ)四方の画面に五百羅漢とその眷属(けんぞく)をあまさず描き込んだ作品を出品、みんなをアッと驚かせました。
誰でも鑑賞できる「常設展」のはしりは、神社や寺に奉納された絵馬を掲げた「絵馬堂」です。戦国・桃山から江戸時代にかけ、大型の絵馬が、参拝者らに公開されていました。建物は、吹きさらしが多く、絵馬の保存には向きませんが、庶民にも開かれた当時の「ギャラリー」だったのです。
(ガイド 東大・多摩美大名誉教授 辻惟雄)