桜前線、開花宣言という言葉があるように、多くの人がその花の咲くのを待ちわびる。平安の歌人がうたった狂おしさとつややかさ、潔さ。それを一層、引き立たせるのが夜の桜。開花の時期は1週間余り。「少しでも長く」というわがままをかなえてくれる時間は、人の心を豊かにする。
戦国武将・真田氏ゆかりの上田城を覆う700本のソメイヨシノ。「千本桜」と名付けられた桜を、昨年から石井さんがライトアップしている。毎年少しずつ増やし、3年後の「完成」を目指している。
東京タワーやお台場のレインボーブリッジ、東京駅レンガ駅舎など、何もしなければ、夜の闇に消えてしまう物にも「新しい命」を吹き込んできた。
そんな石井さんにとっても桜は特別。老いた母がここ数年、「今年が最後の桜かな」と口にするようになった。そんな花をほかに知らない。何もしなくても美しく、崇高な存在をより引き立てるため、光は「最も桜の花を引き立てる色」を厳選。生育と環境に配慮した間接照明の技を駆使する。
本来なら、植物に光を向けるのは自然の原理に反すること。しかし、待ちわびていた人の思いに懸命にこたえる姿をたたえるのなら、「理にかなったことなのかもしれない」とも思う。
浮かび上がる空間は昼にはない妖艶(ようえん)美。夜独特の空気の湿り、樹皮の冷たい感触。耳をすませば静寂の中で花弁の揺れる音が聞こえる。陰影をたたえ、柔らかな春の風に舞う桜も、また格別だ。
いしい・もとこ 都市照明から光のパフォーマンスまで、幅広い領域を開拓。5年の愛知万博(愛・地球博)では照明専門プロデューサーを務めた。