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私の描くグッとムービー

【SP】諦めていく力をつける  紗倉まな「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を語る

 近年、小説家としても活躍されているAV女優の紗倉まなさん。紗倉さんが心のメンテナンスのために見たくなる作品は、ラース・フォン・トリアー監督の異色ミュージカル映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(2000年)。カンヌ国際映画祭で最高賞パルムドールを受賞したこの映画は、その内容に賛否両論が巻き起こったとも言われています。紗倉さんの心に響いた理由とは、そして、人を信じ、生きていくこととはいったい何なのか……。9月22日付け朝日新聞紙面「私の描くグッとムービー」欄に収めきれなかったお話しをお届けします。(聞き手・田中沙織) 

 

 

 ーー「ダンサー・イン・ザ・ダーク」とはどんな物語ですか?

 

 セルマという主人公の女性の方がいて、彼女はとても視力が悪く、失明寸前の状態です。そして息子であるジーンもセルマと同じ血を継いでいて、視力が今後も悪くなると診断されている。そこでセルマは、将来の息子のために手術費を貯めるべく、工場で一生懸命に働いていたんです。セルマとジーンは、隣に住むオーナー夫婦にすごくよくしてもらっていたのですが、ある日、その夫婦の夫であるビルから、とあることを打ち明けられます。周りの人間には「遺産を持っている」と言いつつも、実際は妻の散財がひどく、お金も底をついている状態でした。そこでセルマにお金をせがむのですが、セルマも息子の手術費のために貯めたお金をビルに簡単に渡すことはできず、拒否をします。ここから、怒涛のように悲劇がはじまっていきます。

 ビルが、セルマの貯金をあるタイミングで奪ってしまい、セルマは取り返しに行ってもみ合いになり、そして、ビルを殺してしまうんです。そこからセルマは、「どう生きる」のか?

 裁判にかけられたセルマから語られることは、周りが求めている真実とは異なります。そしてセルマは、自分が不利になる立場に置かれても、ビルと交わしたとある約束を律儀にも守りぬくんです。そこでのかけ合いに加え、セルマがまるで信じられない選択をしたかのように感じてしまうシーンが続きます。自らを不幸に引き寄せているようで、そのもどかしさに胸が苦しくなる。このシーンも含め、「ちょっと胸くそ悪い映画」と評されることが理解できるような展開になっていきます。

 私は元々ミュージカル映画が好きで、この作品を見たのは10年以上前だった記憶があります。衝撃を受けました。また撮り方も固定カメラではなく人の視線のように揺らいで動いているんです。「現実」の世界は、メガネをかけている彼女の視界と同じようにおぼろげで、合わせたように暗くて狭い画角で撮られている。一方、彼女が空想に浸っている時は、たとえ無機質で一定のリズムで刻み続ける工場であっても、色鮮やかですごく広い絵に変わります。セルマが求めている景色が、その澄んだ世界が、広がっているんです。彼女の見えている世界が2つの形で表されている。この対比にも、とても惹き込まれました。

 この二つの世界の切り替えによって、悲劇なのに喜劇のようにも感じるんです。矛盾しているようですが、セルマの生きている世界は、息苦しいものと、すごく希望に満ち溢れている色鮮やかな世界を絶え間なく行き来して、鑑賞後にどういった余韻に浸るのが適切なのか、こちらを少し混乱させるんです。

 セルマが終盤で選んだ沈黙や言葉は彼女の生き方そのものを表しているのですが、理不尽な罪を着せられ、彼女に対する制裁が強まるにつれて、被害者でもあるセルマに対して同情する気持ちは薄れていきます。生きるか死ぬかの天秤にかけられている究極のさなかでも、ビルを庇うように貫くセルマの姿勢に、その頑固さに、苛立ちを覚えます。「共感」からはどんどん遠ざかっていくんです。その生き方を選んだことが正しかったのか正しくなかったのか問い始めると、「他に道がなかったのか」とモヤモヤした感情が、一方的に残ります。彼女の律儀さというか、誠実すぎるが故の息苦しさと一緒に、こちらもほの暗い濁った水の底に沈んでいく。

 

張り手を受けたようなショック

 

 ーー奈落の底に落とされるような映画ですよね。なぜ彼女が、ここまで追い詰められるのか。

 

 人間不信になりそうな作品ですが、実はこの映画に出てくる人たちって、いい人が多いじゃないですか。当然ながらみんながみんな悪人ではなくて、セルマのことを支えようとしている人もいるんです。友人のキャシーや、セルマを車で迎えに来てくれるジェフだったり。移民という迫害を受けやすい状態の中でも、セルマが生きやすくしようと固唾を飲んで見守り、助けてくれている状況です。それなのに、たった一人の、ふとした人の悪意によって人生が狂わされる。

 周りに頼れる人がいる中で、一人で深刻な事態を抱え込むセルマ。人は、しんどい時、空想に浸ったり、そういう逃げ場を作って自分を励ましたり、束の間の現実逃避をすることで日々を乗り切るための力を養っている部分があると思っています。

 セルマは空想に浸ってなんとか自我を保ち、受けた痛みを麻痺させている。私もしんどい時は、何か別のことを考えたりします。思った通りに行かない人生を空想に浸らせることで見出せる希望があるんだと思います。

 

 ーー観ようと思ったきっかけは何ですか?

 

 私は映画をあまり観てこなかったんですが、映画好きの友人がいくつか名作を教えてくれたんです。家に、ディズニー作品やジブリ作品が全部揃っていて、もう覚えるくらいに何度も繰り返し観ていたのですが、一般的な映画、それこそ洋画には全く興味がなかったんです。友人が名作と呼ばれているいくつかをリスト化してくれたので、「順番に全部見よう」と意気込んで観ていきました。

 

 ーー初めて観たときの感想はどうでしたか?

 

 絶望感が強かったです。まさか、そんなラストになるなんて、と衝撃を受けました。

  死刑から免れられるかもしれないという話が出た時に、勝手に展開を予想してしまったんです。絶望の淵にずっと立たされていたセルマの、最後の歌声が途切れた時、張り手を受けたようなショックを受けました。理不尽な目にあっても、加害者でもあるビルをかばい続ける形になっていたセルマを、ちょっと嫌いになったんです。なのに不思議と、数年経ってから、あのラストの衝撃が脳裏に蘇って、もう一度観たくなりました。怖いもの見たさに近かったと思います。一転して、感想が、変わったんです。あれだけ嫌だなあと感じていたセルマを、どうしてかとても愛しく感じている自分がいました。映画は、見るタイミング、見る時期によって、全く印象が変わることがありますよね。小説にも当てはまるものだと思いますが、話の流れがわかっている中で、受け止め方がこうも変容するものかと、びっくりしたんです。

 

「I've seen it all」

 

 ーーイラストでは何を表現しましたか?

 

 セルマの空想世界で、ジェフと一緒に光る橋の上で歌っているシーンを描きました。私が大好きな名曲「I've seen it all」が流れて、心許ない足取りで2人が歌うんです。これから突き落とされていくということを知らない彼女が、1番開放的にジェフと話せているシーンで、印象に残っています。

 

 ーーイラストは、どういう道具で描きましたか?

 

 クレヨンとアクリル絵の具で描きました。

 

 ーー紗倉さんは自身のSNSに、今回のイラストに関して「泣きながら絵を描いた」と投稿されていましたが?

 

 本当に思い通りにならなくて……(笑)。最初描いていたとき、絵の具を重ねすぎて、紙が脆くなって破れたんです。それで、「クー!」ってなって……。久しぶりに号泣しました(笑)。「こんなふうに描いたらこうなるんだ……」とか、思った通りの構図が描けずに苦戦しました……。「え、これでいいのかな?」「皆さんこんなに上手なのに大丈夫かな」「私はなんて不器用なんだ……」って画力のなさに絶句しました(笑)。

 でも、「いや待てよ、これは『ダンサー・イン・ザ・ダーク』がテーマで、私の絶望なんてセルマに比べたら大したことない」と思い、変な励まし方でどうにか乗り切りました。楽しく描かせていただいたんですが、感情の起伏が激しくて……。すみません。

 

 ーー作成期間はどのくらいかかりましたか?

 

 最初に描いた時にはうまくいかなくて。自分の描きたい構図と実際に描いた時の、理想と現実の違いがすごすぎたので、少し間を明けてから描いてみようと思い、もう1回リベンジして、また描き直そうと思って……、というのを何日かかけてやりました。

 

そうでしか生きられない時があるよね

 

 ーー先ほど、「セルマのことを好きになれなかった」とおっしゃいました。やりきれない気持ちになる終わり方でしたが、彼女の人生の結末に対してどう思いますか?

 

 最初に観た時は、「どうしてそんなにうまく生きられないんだろう」とか「もっといい選択肢があるはずなのに」と思っていました。きっと、自分にとって腑に落ちない選択をしたセルマを見下している部分があって、「人って、そうでしか生きられない時があるよね」と思うようになれたのは、鑑賞2回目以降です。

 セルマはこういう最後を遂げてしまうけれど、彼女の生き方そのものが、その形に繋がった。セルマが選んだことが正しいか正しくないかをジャッジする必要も、彼女に共感をする必要もないのだとふと思ったんです。そしてラストシーンで、彼女の生き方と息子の生き方が重なり合った。

 

 ーー「2人の人生が重なる」というのは、セルマの死をもって?

 

 死をもってバトンを受け渡されたというか、ジーンは、セルマから「生きなくてはいけない」という重たい使命を背負わされますよね。セルマは自分が死ぬことでしか、息子がこの先も生きていくことを応援できない。どうしたらセルマが生きることができたのか、生きて頑張れたのか、ではなくて、ようやく親子が重なったんだ、と思ったんです。

 息子は今後、セルマが空想で抱いていたような色鮮やかで明瞭な世界を生きることができるんです。それがセルマにとっては1番、自分が生きることと同じくらいに大事なことだった。苦しいです。

 

 ーーセルマは視力が低かったり、シングルマザーだったり、いろんなマイノリティを背負っている役だなと思いました。そういうところが、多くの人の心に引っかかるんでしょうか。

 

 そうかもしれないです。

 

 ーー紗倉さんの小説に登場する女性たちは、自分1人でなんとかしなきゃいけない女性が多いような気がしています。そことセルマは共通する部分がある気がしました。紗倉さんの中で、創作をする中での女性像はありますか?

 

 周りに依存したり、期待しない女性の方が描きやすいというか、描きたくなります。他人が自分の人生をどうにかしてくれるとは思わない女性ですね。他責せずに生きることはすごく怖いことだし、言い逃れもできないし。全て自分で背負わなきゃいけないのはしんどく感じますが、見ていて応援したくなるんです。

 

 ーーそういう女性にあこがれを抱いたり、自分を重ねたりされますか?

 

 私は、これは自分の弱さでもあるんですけど、「100パーセント全部自分のせいだ」と思うことはないんです。責任に押し潰されるのが嫌で、「いろいろな運とタイミングが重なってこうなっただけ」で終えてしまう日もあります。ただ、他責しない女性の「肩の力の抜きどころ」がわからなくなってしまう不器用さや、自分自身へ向けた厳しさが、愛しくて応援したくなるんです。

 そういうところを含めて全力で生きている感じがするんです。生きることに熱量を傾けるって、すごく大変で面倒なことだと思います。「もうちょっと気楽に」「楽観的に」「気負いせずに」と心がける方が、自分を痛めなくて済む。他人に何も任せない人を見ると、すごいな、と見惚れてしまうというか。

 

どん底まで1回落ち込んでみる

 

 ーーセルマは、空想世界でミュージカルに浸ることで現実から逃避しますが、紗倉さんにとって、現実やモヤモヤした事から離れる方法は何ですか?

 

 私もセルマに似ていて、空想に浸る癖があるんです。私の場合は、どん底まで1回落ち込んで、考えて、それに飽きたら空想に浸る感じです。でも、逃げ場を見つけるのってなかなか難しいので、なるべく自分の心が上がる空想や妄想をしてみたり、何かしらのコンテンツに触れて麻痺させる感じです。

 

 ーー1回、どん底まで自分を落とす?

 

 そうです。ちょっと悩んで復活すると、もう1回同じことで悩んで、もう1回復活する……ということを何回かやらないといけないので、疲れちゃうんです。だったら、「いっそのこと病み切ろう!」みたいな感じに落ち切って、底まで見てきて、「あー、ここが私の絶望の底なんですね」と納得させる。あとは浮上するだけなので、そこから色んなものに触れてみます。

 

 ーー絶望の底に落ちた時ってどういう状態になりますか?

 

 「絶望の底に落ちた」って大袈裟に言ってしまいましたが、でも、動けなくなります。何かを考えてはいるんですが、考えているように思えないんです。ゼロキロカロリーというか、自分の体から熱を放出していないように感じる状態です。

 

 ーー心や感情が生きるのを一旦やめるような感じですか?

 

 そうです。

 

イッヌ様に無償の愛

 

 ーーこの作品には、セルマに対して心から寄り添ってくれる人もいる一方で、嫌な人も出てきます。例えば、セルマに好意があるようにしていたのに最後は通報をする劇団の監督や、お金を盗んだビル。そういう裏切りのようなものが、作品に対するやりきれない気持ちに繋がるのかなと思いました。紗倉さんにとって、信じることや裏切ることとは、どういうことだと思いますか?

 

 信じることって、すごく大変なことだと思います。裏切られたらどうしようとか、その人のことを信頼していいものなのかとか、できそうでできないことだと思います。セルマのように一度信じたからには約束は守り切るという、あれだけ徹底したブレない心は、本当にすごいなと思います。

 私は石橋を叩いて渡るタイプというか、石橋が壊れるぐらいまで叩かないと信じられないところがあるんです。「念には念を」とうたぐり深いんです。

 でも、裏切られるかもしれないと思ったうえで「信じたい」と願うことが、大事なのかもしれないです。逆な気がするじゃないですか。「信じるということは、裏切らないと思っている」ということだと思っていたんですが……。裏切られてもいいと思うほどの関係性になになったから、信じたいと思うのかもしれないです。

 それだけ許せる、もしくは許したいと思える相手はなかなか見つけられないし、見つけられたらすごいことだと思います。私はそれができたことはないかもしれないです。

 

 ーー信じて裏切られた経験はありますか?

 

 ありました。無償の愛じゃないと信じることはできないし、損得感情や利害関係があると、途端に難しくなります。たとえ裏切られても、たとえ報われなくてもいいんだって思えることの方が、信じられる。母親が子供に対して向ける、母性から来る愛情と似ていると思います。相手に求めちゃいけないし、「別に裏切られてもいいや」と思ってはじめて「信じるね」って言える。

 

 ーー今の紗倉さんにとって、無償の愛を注げる存在はありますか?

 

 犬ですね。犬は信じています。イッヌ様です。たとえば、しつけという形で「これはしないでね」と言って、何か悪戯をしたとします。言ったことを全然守ってなくても、それで怒りが湧くことは当然ないですし、「ま、そういう時もあるよね」で終わりです。

 でも、これを対人間に置き換えると、「なんで?約束交わしたなら守ってよ」「なんでそういうことするの?」と思っちゃうんです。自分が約束を守っているのに向こうが守ってない、というフェアじゃない状況に、信じようとした私の気持ちすらも無下にされたような気持ちになって、怒って終わりです。

 犬と人間では違って当然かもしれませんが、期待すると、「裏切られた」と感じちゃうので、いい意味で犬には期待していないのかもしれないです(笑)。好きがブレるわけではないから、そもそも期待することもないというか。でも対人関係だと、何かのきっかけで好きではなくなる可能性があるので、「ちゃんとしてね、好きでいさせてね」という期待がある気がします。だから簡単に、裏切られたとか、嫌になった、みたいなことは起こり得るんだろうなと思います。

 

 ーーそれを考えると、セルマはすごいですよね。あれだけ人に優しく、会社にクビを告げられても気丈に振る舞い、最後まで我が子のために……。全てに無償の愛を注ぎますよね。

 

 そうですよね。セルマって、ちょっとロボットっぽいんです。普通の人だったら怒ったり感情を爆発させたりしそうな場面でも、そういう局面があまり無いんです。「あ、そうですか」って感じで。 もちろん悲しい気持ちはあるだろうけれど、人に期待してないんだろうなと思います。

 

 ーーセルマは、強い人間なんでしょうか? それとも見方を変えると、ちょっと流されやすいのかな?とか。映画を見終えても、「セルマとはなんだったんだ」「映画のテーマってなんだろう」という気持ちになりました。

 

 そうですよね。セルマってすごく無機質で、工場で作られていく製品のようなところがあると思います。もちろん感情もあるし、すごく人間臭い部分もたくさんあるけれど、他の人だったら許せないものを許せる力があるんですよね。殺した相手に対しても、仲直りして一緒に踊る空想がありますよね。普通だったら、あんな空想に浸らないじゃないですか。何ですかね。

 

諦めは、ネガティブな側面ばかりではない

 

 ーー冒頭、この映画の物語について、「どう生きるか」と話されていました。改めて、「生きる」とは何だと思いますか。

 

 なんだろう……。どんどん、諦めていく力をつけるようなことなのかな……と思います。自分ができると思っていたことができないとか、自分が期待していたことが期待通りにいかないとか。自分が思い描く世界というのは、もっと美しいものであったはずなのに、現実はそうじゃないことの方が多いんです。でも、諦めていくということは、決してネガティブな側面ばかりではないんです。いろんなことを受け入れられたり、愛でたりできます。「諦める」という言葉だけを聞くと、良い意味には捉えられないですが、私は、どんどん諦めていく力がつくということは生きやすさを得ることだと思います。

 

 ーーどんな理不尽な状況でも、もう諦めてしまった方が自分も転がっていけるし。

 

 そうですね。諦めない力ばかりが良いものではないなっていうのは、自分の生活の中でもよく思います。適度に諦めるんです。「なんかもう仕方ないよね」を増やしていくんですかね。

 

 ーー生きていく中で、理不尽さを感じることはありますか?

 

 たくさんあります(笑)。私の仕事柄、理不尽な言葉をかけられることもありますが、「まあでも、そりゃそうだよね」と思います。昔は、キーッ!!と怒っていたんです。体力がありました(笑)。でも、そんなことをしても、相手には受容できないものが、私にはあるんだろうな……というのが次第にわかってくるというか。

 

 ーー大人になるしかない?

 

 そうなんです(笑)。しがみつくときにはしがみつかなきゃいけないんですが、諦める時には潔く諦められる力もすごく大事だと、年を重ねる度に思うようになりました。「しょうがない」という言葉が、すごく心強くなってきました。

 

 ーー映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」は、紗倉さんにとってどういう存在ですか?

 

 これだけ身を捧げても得たいものがあるという、セルマの生きることへの熱量がまぶしくて、定期的に心のメンテナンスのために見たくなるんです。多分逆だと思うんですけど(笑)。見たら落ち込む映画でもあるから、「見ない方が心のため」って思う人もいるかもしれないですが。

 

 ーー見た後、どういう風に心が整いますか?

 

 セルマは、命を天秤にかけたとき、死をもってでも選びたかったものがあるんです。自分もそういうものを見つけられたらいいんだけどな……とか、あとは、彼女の空想の世界に惹き込まれます。「自分も、しんどい時に別のことで考えを巡らせて、乗り切ることができたらいいな」と。結末は、彼女が選んだものだから、ただただ差別され、迫害され、罪を犯した、という話とは全然違うものだと思います。

 

 ーーセルマはいろんなものを背負わされた人のような気がします。

 

 そうですよね。そこまで背負わされなくてもよかったのに……って。物事って全部タイミングで決まるなあ、とこの映画を見ると特に思います。彼女がお金を盗んだ彼と出会うタイミング、彼がお金を失うタイミング、視力を失うタイミング、息子が大きくなるタイミング、全てがあって。厄年のような状態で、一気に引き受けなくちゃいけなくなる瞬間って、みんなあると思っています。この年、なんでこんなにひどいことが起きるんだろう……ということが。そういう時にどう乗り越えるか。自分にも理不尽な悪い出来事が畳みかけてきた時どう向き合うかというのは、あらかじめ考えておきたいと思います。その状態に一度身を浸して、“不幸の予習”をしてしまうというか。

 

 ーー教訓みたいですよね。

 

 そうなんですよね。絶対にずっと幸せで安全であるとは限らないし、慎重に運転していても当たり屋にぶつけられることもあるし……。そういうときに自分はどうするのか、対応力が求められますよね。自分の心の中で、出来事をどう咀嚼して、事実を受け止めるのか、身構えています(笑)。

 

 ーーこれを機に「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を見る人もいると思います。どういうときに見てほしいですか?

 

 すごくポジティブな方だったら、落ち込んだときに見てほしいです。すごくネガティブな方は、「今すっごく最高に幸せ」ってときに見てほしいです。真逆のとき(笑)。あと、この映画は、1回しか見ないと、すごく“ズーン”って終わっちゃうと思うので、何回か見る前提で見てほしいです。

 

取材後記~揺るぎない〝何か〟を探して

 紗倉さんがセルマの人生を思い話してくださった、「生きることへの熱量」という言葉は、極端とも言えるセルマの生き方を特別肯定したり否定したりするわけでもなく、そっと静かに見守っているように感じました。

 どんなに不条理な状況でも他者を責めることなく、残酷な選択を迫る相手にさえも優しく涙を流し、丸ごと抱きしめるセルマ。彼女の言動には、強烈な覚悟からくる強さがありました。

 紗倉さんがおっしゃっていた、「セルマは、命を天秤にかけたとき、死をもってでも選びたかったものがあるんです。自分もそういうものを見つけられたらいいんだけどな……」。私も、自分にとって揺るぎない〝何か〟があれば、と常々考えます。そんな存在がある人を見ていると、「強いなあ」と思うからです。

 私には、あるキャラクターへの揺るぎない愛を抱いている友人がいます。正直、出会った当初はドン引きしていました。しかし熱い思いを聞き、「そのために生きている」と言っても過言ではない友人の様子を見ていると、次第にうらやましくなってきました。もちろん、悩みや不安を抱く友人の姿も見てきました。しかし、ちょっとやそっとでへこたれない、芯のような強さを感じるようになりました。

 「没頭できる趣味がない」というのが、私の悩みです。断言するのも少々気が引けるのですが、魅力を感じるものや息抜きできる方法は知っていても、熱心に思いを注げる存在がないまま二十数年間生きてきました。「すがる」という表現を当てはめていいのかわかりませんが、苦しくなったときや生きる意味を求めたくなったとき、○○のために!○○をすれば!という、「頑張る目的を肩代わりしてくれる何かがあれば」と強く願います。

 そんな焦りを感じ始めた頃に出会ったのが、紗倉まなさんでした。インターネットで見つけたインタビュー記事がきっかけだったと思います。優しく語りかけながらも、私自身の物事への一方向の見方や社会のあり方などを鋭く問われた気がして、言葉の一つ一つに強く揺さぶられました。紗倉さんの小説を読みたい!と、本屋さんをまわってやっと手に入ったのが、2017年に発売された「最低。」(KADOKAWA)でした。物語と表現に魅せられ、2020年に「春、死なん」(講談社)を読んだとき、登場人物のセリフに強く共感し涙が止まらず、心が救われました。

 相変わらず、没頭できる何かは見つけられていませんが、紗倉さんが書く小説や寄稿文、書評を読むことは、私の感情が激しく動く数少ない大切な時間です。私にとって、考え方のロールモデルになっているかもしれない……とさえ思います。

 物事への覚悟や熱量の度合いは、ひとりひとり違うと思います。セルマのような極限の状況、立場や役割によって、変わることもあるかもしれません。しかし、「なんか好きだなあ」「今は○○のために」という無理に頑張りすぎないことも大事なのかなと、思います。諦める力を一個、身につけたかもしれません。

(田中沙織)

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