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私のイチオシコレクション

篆刻美術館

小さな印面に思い込めた語句

生井子華「游刃有餘地」 1940年
約5.5×5.5センチ、印材の高さ7.1センチ

 印章から派生した篆刻(てんこく)は、14世紀ごろ中国で発祥しました。文人と呼ばれる人々がみずから印を刻したことが始まりではないかと思っています。次第に四書五経や漢詩などの語句を選び、印影や印面を鑑賞して楽しむ芸術の一つとして発展しました。
 秦の時代に統一された篆書という書体で、軟らかい石や木を材料にすることが多く、1寸(約3㌢)四方ぐらいというサイズから「方寸の芸術」などと呼ばれます。
 当館は現在の茨城県古河市出身の篆刻家・生井子華(いくいしか)(1904~89)の作品を中心に常設で約140点を展示しています。印章業を営む家に生まれた生井は、家業の影響から書や篆刻に興味を持ち、26歳ごろから篆刻家を志すようになりました。
 「游刃有餘地(ゆうじんよちあり)」は生井が印壇にデビューした記念碑的作品と言われています。最初期の作品のためか、基本に忠実でまじめな印象を受けます。白く抜けた文字の面積が大きく、「ガッチリ」とした構えになっており、中国古印の「満白印」を意識しているのかも知れません。
 刻まれたのは中国戦国時代の「荘子」からの言葉で、料理の名人・庖丁(ほうてい)が自由自在に刃物を操る技術があったため、余裕を持って牛をさばいた故事に由来します。その様子に梁の恵王が感心すると、庖丁は「技よりも道の探求が極意である」と話したといいます。生井はこのエピソードに、自分も技術ではなく道を極めたいという思いを重ねたのではないでしょうか。
 篆刻作品と並ぶ当館収蔵品の柱の一つが「封泥(ふうでい)」です。古代の西アジアや中国で封印に使われた粘土塊で、当館の封泥は中国のものです。大切な物を入れた容器や公文書を記した木簡や竹簡をひもでしばり結び目を覆った粘土に、官職などが刻された印章が押されました。写真の秦時代の封泥には「郡左邸」という官職名が記されています。

(聞き手・中山幸穂)


 《篆刻美術館》 茨城県古河市中央町2の4の19(☎0280・22・5611)。午前9時~午後5時(入館は30分前まで)。200円。原則(月)、展示替え期間など休み。

 ◆篆刻美術館
 https://www.city.ibaraki-koga.lg.jp/soshiki/tenkoku/top.html

うすいきみひろ

主幹 臼井公宏 さん

 うすい・きみひろ 1960年長野県生まれ。篆刻美術館、古河街角美術館長を務め、現在は再任用。専門は中国の歴史。

(2023年11月14日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)

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