広島電鉄の銀(かな)山町電停から徒歩約6分。住宅や学校のある道沿いに、鳥居のようなコンクリートの門が見えた。その先には、カトリック幟町教会の「世界平和記念聖堂」(大聖堂)、すぐ横に鐘塔がたたずむ。
1954(昭和29)年8月6日に完成し献堂された。発案者はイエズス会のドイツ出身の神父フーゴ・ラサール(1898~1990)だ。
教会は45(昭和20)年8月6日の原爆投下で全焼。周辺で作業していた子どもらも巻き添えになり、主任司祭だった自身も被爆。「祈りを捧げる場所をつくる」と決意し、翌年から寄付集めに奔走した。欧州や米国、被爆者の遺族、広島出身で蔵相を務めた池田勇人ら政財界などから資金や寄贈品を得た。
教会が掲げた設計テーマは「日本的、宗教的、記念的、モダン」。設計案は日本人建築家に限定して募集し、丹下健三らから177案が集まった。しかし、特に「日本的性格に欠ける」という理由で全てを却下。教会は、審査員の一人で、後に日生劇場(東京・日比谷)などを手がけた建築家村野藤吾(1891~1984)に依頼した。村野は、日本文化を尊重するラサール神父の人柄や情熱に共鳴し無償で引き受けたという。
四角形の鐘塔は高さ45メートル。東方向に延びる長方形の大聖堂は長さ57メートルで、他に二つの聖堂を含む。本祭壇のある東端は花びら形のドーム。外壁は、コンクリートの柱とはりの間にセメントや砂、水を混ぜたモルタルのれんがを敷き詰めた。近くで見ると、目地を粗く仕上げたり、所々のれんがが飛び出たりして面白い。劣化や変色が「わびさび」の雰囲気を醸し出す。
正面の扉は独デュッセルドルフ市から寄贈され、その上にはカトリックの儀式「七つの秘跡」を彫り込んだ欄間が壁に調和する。
中に入ると、壁に描かれたキリストのモザイク画に目を奪われる。当時の西独の首相から贈られたもので、天に昇ったキリストが、再び地上に降りる「再臨」が描かれている。「黄金の光に血の赤が混ざっているのは、自身も原爆の惨状を経験したという意味なのでしょう」と聖堂の案内係、飯國清さん(79)は話す。
午後6時。ドイツの鉄鋼会社から贈られた「平和の鐘」が、雨降りしきる空に鳴り響いた。国内外からの支援への感謝と平和への願いを届けているようだった。
(増田裕子)
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DATA 設計:村野藤吾 完成:1954年 《最寄り駅》:広島電鉄銀山町電停 |
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徒歩約10分の「縮景園」(☎082・221・3620)は、広島藩主を務めた浅野家による大名庭園で1620(元和6)年に作庭された。原爆投下で壊滅状態となったが約30年かけて復元。茶会などの行事も充実。350円。3月16日~9月15日は午前9時~午後6時、これ以外の期間は午後5時まで(入園は30分前まで)。12月29日~31日休み。