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私のイチオシコレクション

ヤオコー川越美術館

老いに見いだす 生命の輝き

「老いる」(習作) 三栖右嗣 1974年 油彩 91×71.5センチ

 

 お風呂上がりに前かがみになって、体をさすっている年老いた女性の姿。洋画家・三栖右嗣(みすゆうじ)(1927~2010)が、母をモデルに描き、1976年に安井賞を受賞した作品「老いる」の習作です。

 埼玉県ときがわ町にアトリエを構えた三栖は、「生命(いのち)」をテーマに写実的な絵を描く画家でした。どの作品にも生命の輝きを感じさせる温かさがあります。

 本作で特に見ていただきたいのは、乾き、もろく、薄くなった肌の質感です。当時はビニールのようだと批判もあったようですが、三栖は実際の母の肌をリアルに表現していたので、意に介さなかったそうです。

 三栖の母は彼の画家になる夢を応援し、反対した父のことも説得しました。そんな母の老いた姿を描き、世にさらけ出すことに葛藤があったと言います。それでも母の生きてきた証しを描きたいという志や、生命そのものへの感動など、様々な思いが交錯していたのではないでしょうか。

 時折この作品の前で涙される方がいます。三栖が母の老いから目を背けずに描いたからこそ、命の尊厳を感じ取ることができる。本人が生前語った「画家に言葉はいらない」という思いが体現されています。

 満開のしだれ桜が画面いっぱいに咲き誇る「爛熳(らんまん)」は常時展示しています。

 当館は、三栖と親交があったスーパー「ヤオコー」の創業家が収集した作品を、地域に還元したいという思いで造られました。「爛熳」は、三栖がヤオコーのために描いた一枚です。

 目の前に立つと、まるで四方が桜に覆われ、花びらが風に揺られて散ってくるような不思議な感覚に包まれます。

 三栖は終わりかけているものを多く描きました。そこに彼なりの美しさを感じていたのでしょう。晩年にかけて明るい絵が増えた印象があるのは、自らが老いてきたタイミングだからこそ、生命の力強さを改めて描き、次へのバトンをつなぎたい思いがあったのだと思います。

(聞き手・斉藤梨佳)


 《ヤオコー川越美術館》 埼玉県川越市氷川町109の1(☎049・223・9511)。【前】10時~【後】5時(入館は30分前まで)。300円。【月】(【祝】の場合は翌平日)、年末年始休み。「老いる」(習作)は、現在開催中の企画展「花も実も海も、いのちあるものとして私をとらえる」(9月28日まで)で展示中。

ヤオコー川越美術館 https://www.yaoko-net.com/museum/

 

 

学芸員 新井涼子さん

学芸員 新井涼子さん

 あらい・りょうこ 1982年生まれ。跡見学園女子大学美学美術史学科卒業。2019年から現職。

(2025年5月20日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)

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