画家の丸木位里(1901~95)、俊(1912~2000)夫妻が30年以上描き続けた「原爆の図」。被害の実相を伝える連作を展示するために建てられた美術館は開館から58年がたち、改修のため9月末から長期休館します。今の展示空間の最後を飾るのは、位里、俊、そして位里の母スマ(1875~1956)の代表作です。
55年に制作された「簪」は、スマの最初にして最後となる150号の大作です。翌年に亡くなるスマの集大成とも言えます。
スマは広島の自宅で被爆し、その体験は位里や俊に大きな影響を与えました。自ら絵筆をとったのは70歳を過ぎてから。「簪」を描く前年、3年連続で入選していた再興院展で落選。院展などに興味がないと言っていたスマでしたが悔しがり、この大作が生まれました。
点描や墨を使った実験的な表現で描かれた世界には、草木が茂り、花々は咲き誇り、猫や猿、鳥、鶏、ヘビなどの生き物が隙間無くひしめきます。まるで楽園のようです。俊の言葉を借りれば「生涯の曼陀羅図」。スマが見てきた世界そのものです。
この作品には人間がいません。戦争や自然破壊を起こす人間がいなければ、こんな世界が広がる、と伝えているかのようです。スマの絵があることで、「原爆の図」とは違った角度の反戦への視点が生まれます。
義母スマを尊敬してやまなかった俊は、母子を題材に多くの作品を残しました。「母子の像」は戦前、女子美術専門学校(現女子美術大)卒業後に描いた油彩画です。子を失った母の悲しみや絶望を表現した「原爆の図」とは対照的に、幸福感に包まれています。
日常や自然に対する温かなまなざしがあったからこそ、それが破壊される戦争への怒りを作品にしていったことが感じとれるのではないでしょうか。
戦後80年の今年、「原爆の図」以前の夫妻の作品やスマの作品を共に見ることで、命に思いを巡らせてもらえたらと願っています。
(聞き手・尾島武子)
《原爆の図丸木美術館》 埼玉県東松山市下唐子1401(☎0493・22・3266)。午前9時~午後5時。900円。月曜日(祝日の場合は翌平日)休み。改修工事のため、9月29日から長期休館。2027年5月ごろ再開館予定。
![]() 学芸員・専務理事 岡村幸宣 おかむら・ゆきのり 2001年から同館勤務、14年6月から専務理事を併任。社会と芸術表現の関わりを研究し、展覧会の企画などに携わる。 |