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私のイチオシコレクション

長谷川町子記念館

戦時下でもユーモアを 貫く信念

「ミサヲネエサンノセツヤク」 日本絵雑誌社「翼賛漫画 進メ大和一家」(1942年4月25日刊)から

 国民的漫画「サザエさん」の作者・長谷川町子の生誕100年となる2020年に開館し、原画などを公開しています。戦後80年の今夏は「町子の仕事―戦時中の作品を中心に―」を企画しました。

 父の死を機に福岡から一家で上京した町子は、人気漫画「のらくろ」の作者・田河水泡に弟子入りし、1935年に15歳で漫画家デビューします。主に子ども向け雑誌で活躍するも、太平洋戦争が開戦。「ぜいたくは敵」とする思想統制もあってか、漫画は掲載を減らされ仕事が激減します。

 漫画家として生き残るために描いた作品の一つが、「翼賛漫画 進メ大和一家」に収録された「ミサヲネエサンノセツヤク」です。新日本漫画家協会と大政翼賛会が設定した模範家族「大和一家」を題材にすれば、創作が許されたのです。

 節約のために足袋を縫ったら、全部が左足というオチ。町子が手袋を縫った時の失敗談が元と考えられます。国の模範を描くより、戦時下の生活でおこるドジ話で笑ってもらいたいとの気持ちが伝わります。

 生活のため、町子は漫画以外に挿絵の仕事もしました。デザインを手がけた「便箋 おしゃれ」は、絶大な人気を誇った少女漫画家で叙情画家の松本かつぢからやっとの思いで獲得した仕事。色彩豊かで写実的な表紙とコミカルな中面のギャップが印象的です。便箋デザインは多数手がけ、当館は20点所蔵しています。

 終戦の翌年、福岡の地方紙「夕刊フクニチ」で4コマ漫画「サザエさん」が誕生します。配給など、終戦直後の庶民の苦しい生活も、クスッと笑えるユーモアに変えて描きました。

 町子は戦後のインタビューで、検閲で自分が面白いと思う漫画が描けないのは「嫌だった」と語っていました。どんな時でも「子どもたちに笑いを届けたい」という町子の信念を、作品を通して感じていただきたいです。

(聞き手・増田裕子)


《長谷川町子記念館》 東京都世田谷区桜新町1の30の6(☎03・3701・8766)。午前10時~午後5時半(入館は1時間前まで)。原則月曜休み。企画展は11月24日(月)(休)まで。900円(長谷川町子美術館と共通)。

◆長谷川町子記念館(美術館と共通):https://www.hasegawamachiko.jp/#top

 

うめざわ・あきの

学芸員 梅澤あき乃さん

 うめざわ・あきの 東京都出身。大正大学文学部歴史学科卒業。駒沢大学禅文化歴史博物館勤務などを経て2022年から現職。

(2025年9月2日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)

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