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ひとえきがたり

坪尻駅(徳島県、JR土讃線)

利用が絶えて浴びた脚光

坪尻駅
ホームの両側に山の新緑が迫る。奈良市から訪れたという家族連れが休日を楽しんでいた
坪尻駅 坪尻駅

 次の列車が来るまで2時間。深い谷底に置き去りにされたようだ。香川との県境近くの無人駅。車が入れる道はない。最寄りの木屋床(こやとこ)集落へはイノシシの通い道になりはてた山道を30分。標高差200メートルを登らなければ、たどり着けない。

 いま駅を使う人はいない。通過する普通列車さえある。テレビでとりあげられたのを機に1990年代以降、全国から鉄道ファンや旅好きたちが訪れるようになった。東京から来た30代の男性は「本来の役目を終えたのに残っている貴重な駅。自然の中で心を無にできます」。

 1929(昭和4)年、急勾配の猪ノ鼻峠を蒸気機関車が安全に越えられるように、スイッチバック式の信号場として設置された。付近の住民の要望で駅に昇格したのは1950年のことだ。

 高校卒業まで通学で駅を使っていた農家の山下順治さん(61)によれば「昔は野菜の行商や通学生でにぎわい、一日100人は乗り降りしていた」。しかし自家用車の普及で利用客は減少。過疎化も進み、20年前には23世帯あった木屋床集落も今は13世帯に。最後まで駅を使っていた老夫婦も3年前から使わなくなった。「西日本の秘境駅の横綱。駅舎でそば屋でもできたら」と山下さんは言う。

 待合室の寄せ書き帳に県内の主婦が詠んだ一句を見つけた。〈春や春/置いてけぼりの/駅や良し〉。轟音(ごうおん)を響かせて特急が通り過ぎると、ウグイスの合唱と川の瀬音がこだました。

文 曽根牧子撮影 渡辺瑞男

 

沿線ぶらり

 JR土讃線は多度津駅(香川県多度津町)と窪川駅(高知県四万十町)を結ぶ198.7キロ。

 箸蔵寺(はしくらじ)に登る箸蔵山ロープウェイ(往復1500円)は箸蔵駅から徒歩5分。吉野川や山々を一望できる。阿波池田駅は「やまびこ打線」池田高校の最寄り駅。刻みたばこの生産で栄えたうだつの町並みは、駅から徒歩10分。

 新緑の渓谷美を楽しむなら阿波池田~大歩危(おおぼけ)間の大歩危トロッコ号(指定券520円)で。5月24、25、31、6月1日運行。問い合わせはJR四国電話案内センター(0570・00・4592)。

 

 興味津々
 

 ホームのらぶらぶベンチは、「山深い静かな駅で、2人でゆっくりスイッチバックを眺めて」とJR四国が3月に設置した。カップルで腰掛けると自然に肩を寄せ合う形になる。昨夏、国内観測史上最高気温を記録した高知県四万十市の予土線江川崎駅にも置かれている。

(2014年5月20日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)

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