上絵金彩綾棒踊(あやぼうおどり)図花瓶
山吹色から青色へ。本作品にも見られる鮮やかなグラデーションを得意としたのは明治時代に活躍した京都の窯元・九代帯山与兵衛(1856~1922)。技巧的な造形と華麗な色使いが、海外で高い評価を得た。
愛知県岡崎市の天台宗瀧山寺に伝わる本作は、源頼朝の菩提を弔うために造られたという。運慶・湛慶父子の作とされ、写実的で充実した体、張りのある力強い顔立ちなどにその作風が見られる。
造像の年代や背景を記した「瀧山寺縁起」には、像の中に頼朝の歯などを納めたとの記述もある。X線撮影により、頭部内に針金で固定された紙包みのようなものがあるとわかった。寺だけでなく地域の歴史も記された縁起の信頼性が改めて確認されたといえる。
古代には有力豪族・物部氏などの勢力下にあった岡崎は、熱田神宮の大宮司を担った藤原氏系の一族が有力になった。瀧山寺へ熱心に寄進を行った熱田大宮司家の娘の一人が頼朝の母となった。
この像を造立した瀧山寺の住職・寛伝は頼朝のいとこにあたるという。古くから中央の政権と関わりの深い岡崎の歴史を物語っている。