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小説家・近藤史恵さん 旅で出会った食文化

読書の秋、食欲の秋、そして後楽の秋。読者のみなさんは今年の秋をどんな風に過ごされますか? 今回の朝日新聞「グッとグルメ」インタビューに登場するのは、小説家の近藤史恵さん=写真左。代表作の自転車ロードレースの世界を舞台にした「サクリファイス」のほか、フランス料理を題材にしたミステリー小説などを手がけています。近藤さんの小説では、日々の生活の中で起こるちょっとした事件を海外の珍しいメニューをヒントに事件を解決する、おいしいストーリーも。そんな近藤さんのおすすめは通販のみでお取り寄せできる、水キムチあらいの「水キムチ」=同右。水キムチの話から韓国や中国、ロシアをはじめ、旅で出会う食の話にまで広がりました。小説を生み出す背景やヒント、大事にされていることを教えていただきました。(聞き手・佐藤直子) 

 

 ーーこちらの水キムチを知ったきっかけは?

 

  知人がこちらの水キムチをツイッターで紹介していたんです。韓国料理が好きなので、水キムチは市販の素で作ってみたり、食べたりしたことはありましたが、あらいさんの水キムチはさわやかだけど滋味深くて、こんな違うんやーって思いました。月1回はお取りよせしていて人気で届くまで時間がかかるので1度に2袋注文しています。発酵食品なので味が変わっていくおもしろさもあって、1つは届いてすぐ食べてもう1つは、ちょっと酸味が出てきたころに。そのくらいのものが私はおいしいなと思っています。切らしたくないので届いたらすぐに次の注文をしているんです。 

 

 ーー水キムチについて教えてください。

 

 よくある赤いものではなく、透明なスープのキムチです。作り手の方が季節に合わせて作っているのでしょうね。夏のものは甘夏や水なすなどが入っていてさわやかな風味でした。旬の野菜や果物が入っているので秋や冬も楽しみです。この水キムチはスープがたっぷりで、スープを一番大事にされているとのこと、スープが主役とも言えます。キムチのスープを飲むっていうのは珍しい体験ですよね。発酵したうまみと漬物っぽさ、自然の酸味を味わえます。韓国料理など辛いモノを食べた時に飲むと、すーっと舌が落ち着いてすっきりするんです。このスープで冷麺を作ってもおいいしいんですよ。米のとぎ汁を発酵させて作るスープだそうです。シンプルですが家で再現するのは難しいと思います。

 

 ーーところで旅はよく行くんですか?

 

 コロナ禍になる前はよく行ってました。一年のうち一ヶ月は海外で過ごしたいと思ってたくらい。韓国は十年前にハマって、2カ月ごとに行ってた時期もありました。今行きたいのはコロナ前に訪れたアイスランドかな。アイスランド語をここ二年ほど勉強しているのですが当時よりもわかるようになってきたので、また行きたいし、本なども買いたいと思っていますが、ちょっと今は家族のことなどがあって、長期は難しいです。韓国など近場なら、来年でもまた行きたいなと思っています。

 

 ーー最近出会ったおいしいモノはありますか?

 

 暑いのであまり外食していなくて自然とお取り寄せが多くなっています。先日、難波でモンゴル料理を食べましたね。 ひつじのお肉が中心なんですが、塩味のミルクティーが出てきました。デザートというよりは食事の一環で小さい揚げパンをミルクティーにつけて食べるんですよ。意外とラムと合うしさっぱりしておいしかったです。

 

 ーー小説にも海外ならではの珍しい食べ物が出てきますね。どんな風にアンテナを張っているんでしょうか?

 

 珍しい食べ物は大好きですね。以前は実際に現地に足を運んで見つけていました。今は行けないので、YouTubeで動画を見たり、SNSなどをチェックしたり。郷土菓子研究社という海外の郷土菓子を現地で取材して、再現して作ってらっしゃる方がいて、いろいろ参考にさせていただいてます。「それでも旅に出るカフェ」の表紙のクリームケーキは、その林さんという方に作っていただきました。他にも外国の方が字幕付きで料理を紹介している動画などを見ていますね。その料理を実際に作ってみて食べるのも好きです。

 

 ーー食文化のちがい、どんなところでおもしろさを感じましたか?

 

 韓国の人は、ラーメンにもカレーにもキムチを添えるんです。これがやってみると意外と合うんですよね。あと韓国の人はヨルムキムチという大根の若葉のキムチだけをコチュジャンでビビンバにして食べるのですが、韓国人はヨルムキムチビビンバのおかずはヨルムキムチって話をされていたのがおもしろかったです。日本だとにんじんやもやし、何種類もナムルがあるのがビビンバというイメージ。そういう食文化の違いを知ることがすごく好きです。

 

 ーーいつから食に興味を持ち始めたのでしょうか?

 

 昔から食いしん坊だったんですよ。小公女の本では、ストーリーよりもインドの富豪がごちそうを用意してくれるページばかりを好んで読んでいるような子どもでした。本にはスープだけでおなかいっぱいになると書いてあるじゃないですか。今だったら、具だくさんのスープなんやーってわかりますけど、子どもの時のスープと言えばコーンスープやコンソメスープ。「スープでおなかいっぱいになる?」って何?って、すごくびっくりしたんです。童話より食べ物が気になる食いしん坊な子どもで、食べ物が出てくる童話ばかり読んでいました。

 

 ーー私を含め食いしん坊な読者にとって「ときどき旅に出るカフェ」に出てくるカフェ・ルーズはあこがれの場所。ココアのチーズケーキや珈琲と紅茶をミックスした飲み物など、すてきなメニューが出てきます。

 

 いずれも日本ではなかなか出会うことが難しいのではないではないでしょうか。ココアのチーズケーキは、ドイツ語を勉強していたときにテキストに出てきて知りました。ドイツ語はすぐに挫折してしまいましたが。ココアとクリームチーズがマーブル状になっていてとても濃厚です。なぜか、ケーキの上にフォークが刺さって出てくるんですよ。多分、ケーキが倒れないようにということだと思うのですがびっくりしました。

 

 ーー海外に行った時の楽しみは? スーパーとローカル市場。その楽しみ方は?

 

 その時、その土地じゃないとない出会えない食べ物を見たいし買いたいんです。オランダに行った時には、パンにかけるチョコレートのふりかけのような商品に出会いました。アラザンに似たスプレータイプのチョコレートを焼いたパンにざらざらとぬって食べます。こんなん日本にはないわぁ~って思っていたら、ホテルの朝食会場にも、ちっちゃい箱入りのものが置いてあって、向こうではポピュラーな食べ物のようです。

 日本でも地域によって食の違いがありますよね。大阪、名古屋でも全然違う。私の田舎の高知では、路上の市場で農家の人がお寿司を売っていることがあるんですけど、こんにゃくの中に酢飯をつめたもの、ミョウガのお寿司なんかもあって。「それでも旅に出るカフェ」にもそのお寿司が登場しています。

 

 ーー旅で出会う食べ物、どんな意味があるのでしょうか。

 

 日本にずっといるとカレーには福神漬けを合わせるという感覚がありますが、それがあたりまえじゃないと気づかされます。現地に行ってはじめてわかることも多いんです。韓国の人は、カレーにはキムチ。そしてチャジャンメンという麺類には、たくわんを合わせたりします。日本統治時代の名残なのだと思います。とんかつもとんかつと呼びますが、韓国だとさつまいものペーストが入っていたりする。似たようなものだけど国によって全然ちがうし、全然違うものなのに共通点もある。

 餃子に似たものは世界にあって、ロシアではペリメニという水餃子のようなものがあるし、ジョージアでは、ヒンカリという小籠包に似たものがあります。ヒンカリはたっぷり肉汁が詰まっているところが小籠包っぽいし、ペリメニはディルとサワークリームで食べる。小麦粉の皮で肉を包むと考えると、イタリアのラビオリも餃子の一部かもしれない。そういうのを知るのが好きで、小説のヒントにもなっています。

 

 ーー作品を作るとき一番大変なことはどんなことですか。

 

 世界観や枠組みを作ることを大事にしています。もともと、最初から緻密に練り上げる方ではないので、世界観や枠組みで物語を発展させられるようにしています。

 

 ーー旅やミステリー、色んなジャンルの小説を書かれています。日々どうアンテナを張っているのでしょうか。

 

 これは小説になりそうだなというひらめきみたいなものはあるかもしれません。来年3月に出る新刊で、男性だけの家事学校の話を書いて今加筆しているところです。アイスランドのドキュメンタリー映画「主婦の学校」から構想のヒントを得ました。

 料理、繕いもの、子供服の作り方などを習う家政学校がアイスランドにあります。少ないけれど男性も通っている。小説の中では、奥さんから離婚を言い渡された男性、奥さんが認知症になって介護が始まる男性など色んな立場にある男性が家事の必要性にかられて男性だけの家事学校に通ってくるんです。色んな設定を作ることでストーリーが生まれ、広がりが出てくると思っています。もう30年も小説を書いていますので、自分の内側から書きたいものが少しずつ姿を変えていくこともあるんですけど、やっぱりそれだけじゃ難しい面もあります。それを引き出してくれる枠組みや設定を考えるのが大事だと思っています。 家事教室とか海外の食材を使ったカフェとか。そういうものから自分の書きたい気持ちをひっぱりだしているんです。

 旅行が好きだから添乗員の話(たまごの旅人)を書こうと思ったりそこから広げられるかなと思ったり。小説家を30年やっているとどういう設定を作ったら、話が広がるのかはある程度わかるようになってきましたね。ただ、それに慣れてしまうのはよくないなと思っています。最初に書いた作品のように内側からほとばしるような書き方ではなくなっているけれども、どこかでその強い衝動みたいなものを持っていたいとは思います。

 

 ーー今はどういうことを大事にされているのでしょうか。

 

 若い人、弱い人の立場の人たちのことを考えたいですね。年齢を重ねると、やはり自分の世界に固執してしまいがちです。だから世界の変化みたいのをできるだけ柔軟に受け止めるように、自分の価値観を変化させていきたいと思っています。

 

 ーーそのためにやっていることはありますか?

 

 若い方の書くものを読むようにしています。あとは自分の先入観を疑うこと。

 

 ーー小説の中には様々なキャラクターが登場します。日常生活でも身近な人を観察して小説のヒントにすることもあるのでしょうか?

 

 観察と言うよりも自分だったらどうなるだろう、どう思うだろうかを大事にしています。人を観察するっていう感覚はあまりないので、自分だったらきっとこういう心の動きになるだろうと想像しています。

 たとえば性格がよくない人物や弱い人間を書くときには、こういうところって自分にもあるよなというところからはじめてます。表には出さないまでもこういう気持ちって絶対自分にもあるんじゃない?と問いかけています。自分の中にも絶対にある弱い部分やだめなところ、その小さい部分(もしかするとすごく大きいかもしれない)を広げて育てて書いています。

 

 ーー小説に登場するキャラクター、たとえば自分と全然違う人を描く時、どういう風にキャラクターに気持ちを寄せていくのでしょうか。

 

 先ほどの家事学校の話だと登場人物はほとんど男性。私自身もあまり家事が得意ではないですし、結婚もしていないし、子供もいない。誰かのケアという形の家事はしたことがない。そういう意味では、男性に近い立場だと思いました。子どもの時は特に、母から家事の手伝いをしてと言われたときに「お母さんの仕事なのに」と思ったりしていました。

 子供のとき、私の役目じゃないと思ったことを男性に当てはめてみました。男性の気持ちを考えると、社会全体が家事を女性の仕事だと判断している。そうなると、わたしが子どもの時に思った「それは自分がやらなくてもいいでしょ」みたいな気持ちが大人になっても続くんだと思います。もちろんちゃんと、自分の仕事だと思える人もいるでしょうけど、自分に甘い人はそう考えないだろうことは、想像できる。もし、自分が男性で家事を自分事として考えなくてよかったとしたら、どうなるだろうみたいなところを想像してみる。いったん女性というのを取っ払って、男性の自分の仕事じゃない、それぐらいやってくれてもいいじゃんというような気持ちを自分の中で生み出すんですよ。憑依するような感じでしょうか。

 

 ーー憑依ってどんな感じですか?

 

 自分に都合がいいからそう思ってしまう気持ちもわかる。その人にとって都合のいい思考をトレースしてみるんです。肯定とは少し違っていて、自分の気持ちとしてわかるんです。次にじゃあその人がそこから抜け出すためには何が必要かっていう話になっていくじゃないですか。その都合の良さをただいたずらに肯定して話を書くわけではない、でも1回立ち戻って自分の感情にすると、そこにリアリティーみたいなものが生まれるんじゃないかなと思っています。自分の価値観とは違う人の気持ちになってみることは、小説を書く上ですごく好きな作業の一つです。

 「ホテル・ピーベリー」という小説に登場する主人公の男性は普通の人だと共感できないようなすごく自分勝手な思考をしているんですよ。現実だったらとても友達にはなれないですが、そういう人を書くのは好きですし、そういう人が救われていくにはなにが必要なのだろうかと考えるのが、わたしが小説を書く上で大事にしていることです。倫理的に考えれば問題がある人でも、突き詰めればどこかでその人なりの正しさみたいなものが見えてくる。もちろん、それを肯定する必要もない。ただ、フィクションはそういう正しくないことを書くのにも向いているのではないかと思っています。

 

 ーー現実でも嫌いな人や苦手な人とはなるべく距離をおきたいと思う人も多いと思います。色々なキャラクターを生み出している近藤さんから、そういう人とほんの少しだけいい関係を築くためのヒントをいただけないでしょうか。

 

 わたしもそうですよ。現実には別に嫌いな人と関わる必要はないと思います。適度に距離をとっていればいい。でも理解できない人がいたとき、その人がなぜそう思ったのかというのに興味があります。その人を全肯定はしないけどその人がどういう思考回路を経たのか。肯定はしなくていいと思います。でも、そういう人でいなければならなかった理由があったはず。なぜそうなるのか、自分だって自分勝手な思考をしているかもしれない。小説を書くときにそういうことを考えたくなるんです。

 自分の中にもそういうところあるんじゃない?って思うんです。良くないってわかっていて抑えている嫉妬とか不満とかの感情とか。自分は十分なモノを与えられていなくて、もっと自分は与えられてもいいんじゃない、っていうのはもちろんすごく甘えた感情なんですけど、でもそういう幼い感情って、コントロールできるかできないかで、絶対誰にでもあるから。でも、わたし自身は別に苦手な人と距離を詰める必要もないとは思いますが。

 人間ってみんながそんなに善人じゃないし、私だって別に善人じゃないし。そういうのをなだめすかして社会と適応しているから、最悪なことを小説に書くことができる。でも、反対に素敵なことも書けるわけで、どんな立場にでもなれて、空想の翼を広げられるのが小説のいいところだと思っています。

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