読んでたのしい、当たってうれしい。

私のイチオシコレクション

筆の里工房

軸を彩る動物図 細やかな職人技

「林賽元銘玳瑁管象牙斗提筆」 中国・清時代

 年賀状や書き初めと、筆の出番が増える時期になりました。当館があるのは、熊野筆で知られる広島県熊野町。筆の生産量日本一の地から、その文化や使う楽しさを発信しています。

 熊野筆の始まりは江戸時代末期。農閑期に街へ出て筆や墨を仕入れて売る人が増え、次第に筆作りも習得していきました。今では町民2万3千人のおよそ1割が筆に関わる仕事をしています。
 展示フロアでは中央で全長3.7メートルもの大筆が出迎え、筆を中心に約5千点を所蔵します。中でも自慢は筆の2大コレクションです。
 まずご紹介するのは「三清書屋(さんせいしょおく)コレクション」。高校の書道教諭だった公森(こうもり)仁(ひとし)さんが、三十余年をかけて450本以上の筆を集めました。収集は中国の明清時代のものに絞り、職人の名が彫られた筆に特化しているのが興味深いところ。
 「林賽元銘玳瑁管象牙斗提筆(りんさいげんめいたいまいかんぞうげとていひつ)」は1850年前後の北京の職人、林賽元による作。持ち手である「軸」の頂部に銘が刻まれる例は他に見たことがなく、なんて面白い作者なのだろうと思います。軸に使ったべっこうから動物の図が薄く切り取られ、そこに象牙をはめ込んでいます。切り取ったべっこうは、象牙で丸く作った軸の下部に貼るという芸の細かさ。馬と思われるなんともゆるい動物にも、とても癒やされます。
 もう一つは「木村陽山コレクション」です。昭和の書家で筆の研究家の木村陽山による約1千点の収集群は日本最大級。古今の装飾豊かな筆から、筆として使われた植物まで幅広く集めました。筆は消耗品で後世に残りにくいため、非常に意義のあるものです。
 「仿古本朝名人用筆(ほうこほんちょうめいじんようひつ) 乾(けん)・坤(こん)」は、日本歴代の書の名人11人が使ったであろう筆を、文献などをもとに再現した一式。歴史学者の黒板勝美が考証し、京都の鳩居堂(きゅうきょどう)が作りました。穂が鮮やかに染められた一番大きな筆は「三筆」の一人、嵯峨天皇のものです。空海、本阿弥光悦、藤原定家の筆も。当時に思いをはせ、どんな字が書けるかと想像するのも、筆の味わい方の一つです。

 (聞き手・中村さやか

 《筆の里工房》広島県熊野町中溝5の17の1(☎082・855・3010)。午前9時半~午後5時(入館は30分前まで)。800円(展示によって異なる)。月曜(祝日、休日の場合は翌日)と26日~1月3日休み。

▼筆の里工房 https://fude.or.jp/jp/

  

筆の里工房 学芸員 黒松愛華さん

筆の里工房 学芸員 黒松愛華さん

 1998年生まれ。筆と墨の産地で知られる奈良県の出身で、幼少期から書道に親しむ。筑波大・同大学院で中国書法史を研究した。

(2024年12月24日、朝日新聞マリオン欄掲載記事から。記事・画像の無断転載・複製を禁じます。商品価格、営業時間など、すべての情報は掲載時点のものです。ご利用の際は改めてご確認ください)

私のイチオシコレクションの新着記事

  • 台東区立一葉記念館 枠外までぎっしりと。肉筆が伝える吉原周辺の子どもたちの心模様。

  • 京都国立博物館 中国・唐と日本の技術を掛け合わせた陶器「三彩蔵骨器」。世界に日本美術を体系的にアピールするため、「彫刻」として紹介された「埴輪(はにわ)」。世界との交流の中でどのようにはぐくまれてきたのでしょうか?

  • 昭和のくらし博物館  今年は「昭和100年」ですが、昭和のくらし博物館は、1951(昭和26)年に建った住宅です。私たち小泉家の住まいで、往時の家財道具ごと保存しています。主に昭和30年代から40年代半ばのくらしを感じられるようにしています。この時代は、日本人が最も幸福だったと思います。日本が戦争をしない国になり、戦後の混乱期から何とか立ち直り、明るい未来が見えてきた時代でした。

  • 国立国際美術館 既製品の中にある織物の歴史や先人の営みを参照し、吟味し、手を加えることで、誰も見たことのないような作品が生まれています。

新着コラム